見出し画像

【第25弾】憧れ

「もう6月か」ということを様々な媒体で書いている気がするけど、やっぱりもう6月なのかって思ってしまう今日この頃。

「時間が早い」って言っている人を多く見る一方で、私は「まだ6月か」と思いたい気持ちもある。
大学4年になってからはかなり激動の2カ月を過ごしてきたと思っている。
環境が、ハード面では変わらないのだけど(家からほとんど出ていないから)ソフト面というか、オンラインですることが増えたので結構忙しい。

というか忙しくいることを望んでいる自分もいた。

そして、3年から4年への接続がほとんどできていない、それはコロナ禍でカオスになっているから。新入生がヌルッと入ってきて、大学の授業も対面で始まったけど、就活もしていない私にとっては、さらに卒論もまだ書き始めていない私にとっては、4年生になったという実感がわかない。

というか4年になったからどうこうなる、みたいな価値観は大学生になってからなくなった気がするけど。年齢で輪切りにされるのはごめんだ。

卒業は1年以上先なのでまだ実感が湧かないうえに、実感したくなくて逃げている自分がいることにも気づきつつ、今はこれでいいんだと自分を説得する毎日。なんだかなー、私にも悩みはありますよ。

-------------------

さてさて、導入が長くなってしまった。

ここから本題。

「憧れ」

について書こうと思う。

私は憧れやすい性格なのである。皆さんはどうだろうか?


1.変な同調圧力

先輩(すごい人)と同じことがやりたい、同じようになりたい、同じことができるようになりたい。という思いがある。

私はこれを「変な同調圧力」と呼んでいる。

本来の同調圧力は、他人に自分と同じよう、あるいは社会的な多数派と同じになるよう強いることである。

たいして私は、先輩や尊敬する人と、自分が同じことをするよう自分に強いるのである。変なの。

ちなみに憧れとは関係がないが、自分より下(というのはおこがましいが)例えば私を「すごい」と言ってくれたりする人に対しては、私と同じレベルまで上がってきて欲しいと思っている。何なら私の知識なんて大したことないのだから、「この程度の情報なら挙げるから君なりの考えを聞かせて」とか考えてしまう。これはたむとろnoteを書き始めるようになった考え方と共通するものがある。(ちょっと普通の同調圧力っぽい?)


2.相談した際に言われたこと

「憧れやすくて、基本的に人がやっていることをやりたいと思っている」ということを人に相談したことがある。と言っても、イベントかWSか何かで、何かのトークテーマで話すことになって話したんだよな。

その時に言ってもらったのは、「憧れて人と同じことがしたい」ってのは、

・人が熱中している姿を見て触発された
・何者かになりたいと思っている

このどちらかなのではないか、と分析していただいた。

確かにその通りで、私はこの両方の感覚を持ち合わせている。


3.人が熱中している姿を見て触発される

正直、私が今こんな性格になったのは「憧れ」のおかげだと思っている。

「憧れ力」(そんな力は聞いたことがないが、そんな力を定義するなら)
たくさん変な人に会ってきて、その人たちに憧れて、その人たちの考え方や価値観を大量に吸収した。

人は出会ってきた他のすべての人からできるけど、私も出会ってきた多くの人によって今の自分を構成してもらっている。
憧れ力が強いということは、出会ってきた多くの人からより多くのものをもらえるということである。

例えば私の中ではフルリモート&フレックス&複業 この辺りは「当たり前」なものとして認識していて、どれか1つでもやっている人はよく取材を受けるけど、全部やるでしょ、くらいに思っている。

やったこともないくせに(笑)


最近『BRAIN DRIVEN』という青砥瑞人さんの脳科学の本を読んだ。
そこではモチベーションを出させる衝動を大きく分けて4つ紹介していた。
・SEEK
・WANT
・TRY
・LIKE
である。詳しくは省くが、この中の「SEEK」は、「まだやったことがないけどなんとなくよさそうと思える」ことだそうだ。私はこの能力が高いのではないかと思う。

また、「花まる学習会」の高濱正信さんが「思春期はやたら人に憧れる」ということを言っていた。

私は思春期かもしれない(笑)


4.何者かになりたいと思っている

まず、私が大好きなまちづくり会社と大好きなまちづくり市民大学を運営する会社(わかる人はわかりそう笑)の対談(?)イベントを昨年12月に聞いたときに私が書いた感想である。

自分が「何者」かになりたいから
「何かを求めて何かになろうとしている誰か」に、そんな人に憧れて、
私も同じことをすれば「何者」かになれるだろうかと
同じことに興味を持つのだろう
それが特にやりたいか、出来るかどうかに限らず

私が憧れた人たちは私より年上で、その人たちに追いつけ追い越せ精神で頑張るのだけど、当然私はその人たちに成れるはずがなく(だって違う人間だもの)けどなろうとしている自分がいる、同じになりたいと思っている自分がいる。だから辛い。だってできないんだもの。だけどやろうとするの。

私はすごい人たちにたくさん会って、たくさん憧れた。

私もこんな風になりたいって、こんなことがしたいって。

でもそんなことができるほど自分に能力があるわけではなくて、勇気があるわけではなくて。だから凹む。

憧れが将来自分のやりたいこと、なりたい姿ならまだいい。
それはいちいち凹まなくなった。
だって、今の私と憧れている人とは年齢がかなり違って、私がその憧れている人の年齢くらいになるまでにできるようになればいいやって思えるようになったから。

だけど、自分が「何者かになりたい」って感覚は消えない。
それは初めに憧れちゃったことで、その憧れが自分の中で大きすぎちゃうから。その憧れの光は大きすぎて、不安を飲みこんでしまう。けどその光が呑み込んだ不安は体の防衛本能なわけなのに、それすらも飲みこんで、私ができるはずのないことまで私にさせようとする。

結構疲れる。


5.まとめ

憧れが強いからこそ、やりたいことがたくさん生まれて、だから「to doリスト」とかつけ始めるんだよね。それはいいこと。

私は根本的に「やりたいこと」がない。それは以前noteにも書いたけど、だから人に憧れて、人のやっていることをやりたがるってのもあるかもしれない。「憧れる」のと「やりたいことがない」のどっちが鶏でどっちが卵かはわからないけど。

今4.の解決方法は、「何者かになりたい」ってのはそんなに解決できてなくて、正直なところ。
めちゃめちゃ忙しくして、直近やることと直近やりたいことで日常を埋めることで何者かになるのを先送りしている。

けどそれでもいいと思っていて、何となく「何者になりたいか」は見えてきた気がしているから。それを今は頭の中と心の中で醸成しているところ。
相変わらず醸成している「何者か」は大きいもので、曖昧なもので、どうやってやるんだよ、、、って、私の手に余るものではあるのだけど、醸成している中でそのやり方を見つけていったり、私の手を大きくして行けたらいいなあと、思っているところです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?