著書 「庭とエスキース」から考える”生きること”、”他者を知る”ということ
こんにちは。yukikon520です。今回は、私の中でとても印象に残っている1冊の本を紹介します。
コロナ禍による外出制限が厳しかった頃、家で読書をすることが習慣になり、この本に偶然出会いました。
みすず書房出版 奥山淳志/著 「庭とエスキース」です。
SNSで多くの本を紹介しているこちらのアカウントの中から選ばせていただきました。美術書やデザイン書を多く紹介していておすすめです。
https://www.instagram.com/enen.arc_book/
奥山さんの文章は、風景や心情描写がとても丁寧で静けさの中に温かみがあり、読み進めていくと心が柔らかくなっていく感覚があります。
<あらすじ>
”カメラマンである著者が、北海道で一人自給自足の生活をする井上弁造さんを14年間という長い年月をかけて撮影し、弁造さんの生活と自身の気づきを記したノンフィクション作品です。撮影を始めた著者は当時20代、被写体となる弁造さんは70代でした。
著者は他者の人生にカメラを向けることで「生きること」に近づけるのではないか、と弁造さんが90代で息を引き取る最期まで、そして没後も撮影を続けました。その写真は弁造さんご本人、そして弁造さんを象徴する「庭」と「エスキース」が撮影の中心となっています。
弁造さんが作り続けた「庭」は、経済社会が息詰まった時に立ち帰れる場所としての自給自足の生活のモデルであり、「エスキース」は女性をモチーフに描いては消してを繰り返し、なかなか仕上がることのない作品群でした。
著書では「生きること」そして「他者を知ること」というキーワードを中心に話が展開していきます。”
奥山さんは弁造さんという他者を通して、何を感じ、何を知りたかったのでしょうか。
家族や友人知人ではなく、敢えてつながりのない他者を追い続ける中で、奥山さんは次のような解釈をしています。
読了すると、奥山さんが他者を知ることに対してどれだけ葛藤し、悩んでいたかが伝わってきました。知りたいという気持ちに誠実さがあるからこそ葛藤があり、そこにはたくさんの気づきが生まれているように感じます。
私にとっての”生きること”や”他者を知ること”について静かに思ってみます。
他者の中に自身が媒体としてしなやかに介入していく。そして時には力を込めて介入していく。あるいは外側から客観視して広く見つめてみる。
そうしていく中で、その人が持つぼんやりとした光のような温かい部分にそっと触れることができたのなら、、
そんなことを考えています。
拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございました。
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