それでも僕は選挙へ行く

争いは避けられない。それが人の本質だと思う。それを前提に折り合いをつけていくのが政治だ。そう思っている。故に政治は争いで終わってはいけない。自分の正義を語るだけではダメだ。相手の正義を理解する必要があるだろう。

そう考えれば、自分たちに都合の良すぎる政治は無いと思える。自分らが笑えば笑うほど、どこかで誰かが泣いているのだから。政治の難しさはここにあるだろう。裏で泣いてる誰かは想像し難い。きっと、政治家さんはここが長けている。僕ら庶民との違いもそこであろう。故に理解も難しいと言うわけだ。

負担は必要。分かってはいるが納得はできない。けれども、信頼できる者にお願いされれば受け入れられる。いや、お願いされなくても、こちらから負担を申し入れることもあるだろう。政治家に人柄が必要な理由はこれだ。ロジカルな正論をぶつけられても困る。感情で納得させてほしい。人とはそういうものだと思っている。

穏やかな道筋で建てられた国の君主は、そういう者だったのだろう。その者の子も然りだ。しかし、それは代を重ねるうちに薄まってしまう。これはもう仕方がない。人の性質からくる構造的な問題だと思う。おそらく、誰もがそこに入ればそうなるのだ。誰も悪くはないのである。

民主制でも同じであろう。月日を重ねて選ばれるためのハック技術が熟せば尚更だ。選ぶ側も、選ばれる側も、原理原則を忘れてしまっているのかもしれない。だが、それを語るのは野暮だろう。けれども粋でもない。「あの人の願いなら負担も受け入れられる」。少なくとも僕はそんな人を選びたいのだ。

もちろん、その者の掲げる政策を蔑ろにはしない。勉強が必要になるだろう。政治に参加するということは大変なのだ。投票すればOKというわけではない。その上で、その者の『人となり』を見ていきたい。

嘘はよくないが、嘘のつき方にも注目したい。あからさまなマーケティングを多用してくる者も警戒している。つまりは相手のメタ認知を読み取るのだ。おそらく無駄なことはしていない。すべてに意味がある。それは何のために行っているのか? そこを読み取ると、その者の『人となり』が見えてくると思っている。

それにしても、いつまで人を選び続ければいいのだろうか。僕らが本当に選びたいのは国家の運営方法であって、運営者ではない。正直、運営方法が同じであれば誰でもいい。極論、ロボットやAIでもいいと思っている。ここらで激的に変わることはないのだろうか。

いや、変わることはないだろう。それでも人は人の思考や感情に触れたいのだ。仮にロボットやAIが国家を運営したとすると、きっと僕もそれが恋しくなるはずだ。そう考えると、選挙ってなんだろう。おそらくそれも自然現象なんだと思う。結果に良いも悪いもない。それでも僕は選挙へ行こうと思っている。僕という人の造る現象がそれだからだ。


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