旅人になった日
今年5月、小沢健二の希少なライブチケットに当選した。8/31(土)東京、日本武道館で開催される超名盤『LIFE』の発売30周年を記念した一夜限りの特別なライブ『LIFE再現ライブ』。
私は41年間生きてきて、一度もライブ遠征なんてやったことのない人間だが、8/31にいよいよ初の単独東京遠征、そして人生初の日本武道館、それが『小沢健二』という、なんと機嫌無敵なDAYが実現する。
30年前といえば私は小学6年生。
中学受験、家なき子、コミックボンボン、運動会の組立体操でやった関西国際空港、阪神大震災…そんな時代だった。
その頃、LIFEも知らなければ、『小沢健二』という存在も私の中ではほぼ皆無で、なんか「テレビで見かける歌手」くらいのイメージだった。
10年ほど前に、ふとしたきっかけで彼の曲に出会い、その歌詞の世界観に惹かれ、今では私の哲学・思想と共鳴する、私のLIFEに欠かせない一つの存在となっている。
たしか彼の次男と私の息子が同い年で、復活後といわれる2016年以降の作品(『流動体について』以降)は、こどもをテーマにした曲やエッセイが見られ、非常に興味深く、私のストライクゾーンに刺さるものが多かった。タイムリーにそういった世界観を同期できたようなこともあり、途切れることなく、分岐していた並行世界が2016年以降で交わった感じなのである。
そんな古参でもない新参ではあるが、強い気持ち強い愛はある。
そんな層さえもあまねく包含する30年の時を超えたLIFE。
まさに超LIFE。
というわけで、3ヵ月前から旅のプランを計画し、心躍らせる日々を過ごしていた。
…が、しかし、であった。
ライブの1週間前からのろのろやってきた台風10号(サンサン)…
嫌な予感は的中した。
まさかのまさかライブ前夜に関西直撃コース。
そう、私は関西在住。
台風は東京に大きな影響がないため、ライブは予定通り開催決定とのこと。(今回のライブは8/31に演ることに意味がある…)
しかし、東海道新幹線は9/1まで運休。
数か月前から取ってた新幹線(大阪-東京)のチケットは死んだ…。
急遽、空の便や夜行バスを当たるが、ほぼ運休。運よく運行している便はあれど、数が少なくどれも当然満席。しかもいつ運休になるかも分からない。
「敦賀経由で北陸新幹線で東京に行ける」という書き込みを見て調べるも、そちらも満席。
それに例え上京できても、台風が大阪と東京間に鎮座する予報のため、9/1に帰阪できる保証はない。
(9/2は仕事で超重要な立会い有り)
もはや東への道は断たれた…。
ライブ前夜に宿も新幹線も全てキャンセル。
妻・小2息子にも「明日は諦めた」と伝える。
「なぜこうなった」
ただそれだけが反芻する。
ずっと1週間台風の情報にヤキモキさせられていたためか、急にどっと疲れ、糸が切れたように風呂も入らず、22時頃にベッドに倒れる…。
ふと4:30に目が覚める。
4:30。
本来ならこの時間に起きて、始発で東京に行く予定だった。きっと身体が数ヶ月前から8/31の目覚ましをセットしていたのだろう。
とりあえず昨日までの諸々を水に流すために、シャワーを浴びる。
土日の予定がぽっかり空いた。
とりあえず二度寝しようと思い、ベッドに横たわり無意識にスマホを眺めていた。ふと前日まで開いていたJRサイトの残骸をタップすると、指定席⭕️になっている北陸新幹線が表示された。
それは『かがやき526号』。
昨夜22時過ぎに私が力尽きた後、臨時で増発が決定したという、
祈り、光、かがやき。
急に何かが湧き上がる感覚に押し出され、気づけば、席を予約し、勝手に身体が動いていた。
昨夜は何も出かける支度をしていなかった。
何をリュックに詰めたのかあまり覚えていない。とりあえず充電器とチケット、その他もろもろを詰め込む。
出発直前の6時前に息子が寝室から起きてきた(いつも早起き)。
「おはよ、どこいくん?」
「おはよ。父、やっぱり東京いくわ」
「いってらっしゃい」
驚きもしなければ、理由も問わない息子。
妻も起きてきてくれて、
やっぱり行くか、という感じで朝ごはんのベーグルをよこし、見送ってくれた。
そして私は急遽「旅人」となった。
強い気持ち、強い愛。
今回の私の行動はあまりにも自発的だった。自分のようで自分でないような。強い気持ちと強い愛、それだけに引っ張られて武道館まで来たような気がする。
長期に渡り醸成された想いは、決して一晩で冷却されるような熱量ではなかったのだろう。4:30に目覚め、土日に自分が家の中にいるイメージが全く浮かばなかった。武道館にいるイメージがあまりにも強くて…。
そのイメージの強さといえば、チケットを発券して自分の座席からの小沢健二の見え方を確認するために、武道館の断面図を探して書き込んでシュミレーションしていたほどだった。
思ってる以上にその歌詞が、力強い彼の声が、その時の私の心に響き渡り、私は歌いながら泣いていた。
そう、「ほんとの気持ち」だけでここまでやって来たのだから。
「1994年から30年という時の流れはあっという間。当時、2024年なんて想像もできないずっと先の未来だと思っていたけど。30年後は、2054年…気が遠くなるくらい長い時間。」なんてことを言って、ライブ全体を通し、彼はこの30年の時の流れに想いを馳せていた。
朗読も選曲もLIFE再現も。
そういう意味で、今回は親子席を設けたことや、小沢健二の息子をはじめとする演奏者の「こどもたち」がぞろぞろ歩いて壇上に上がり、生コーラスを歌う場面がとても印象的だった。
1994年から「30年後の未来」を表す象徴的かつスペシャルな演出だった。
これから「LIFE再現」が始まろうとするとき、お客さんの赤ん坊の泣き声が会場中に響き渡る。
「こどもの泣き声、最高です!」といいながら、彼は赤ん坊の泣き声をBGMに、腰を少し曲げてオルゴール(『いちょう並木のセレナーデ』)のハンドルに手を掛けクルクルと回し始める。黒いウサギの被り物をかぶった56歳のその姿は、どこか少し哀愁が漂う…。
そしてまさかのアルバムと逆の曲順(!)で始まる「LIFE再現」。
その複合的シチュエーションが、まるで「時」を巻き戻すような、過去と未来をクロスさせるような、会場の皆を若返らせていくような、命が還っていくような、そんな色々なものを彷彿させ、また涙が自然とこぼれ落ちた。
(黒いウサギ…不思議の国のアリス…夏の魔法…)
終演後、ホテルで一息つき、ライブの余韻に浸り、「30年かぁ…」と思いながら、
ふと「1994-2024-2054」と書いてみる。
まるで電話番号のように見える。
それは、過去と未来をつなぐ。
あの人と、あの頃の声のままで、会話する。
まだ見ぬあの子と、どこかで聞き覚えのある、誰かに似たような声で、会話する。
今日演奏された曲たちを思い返す。
この30年の間に、生まれてきた人もいれば、旅人になった人もいる。
私の息子も、私の父も、そう。
息子も生まれるまでは、旅人だったのだろうか。
父はいまどこを旅しているのだろうか。
まだ旅人をやっているだろうか。
もうどこかで生まれただろうか。
私もいつか旅人になる日がくるだろうか。
彼の世界観にはいつもどこか、ほんのりと輪廻を感じる。
そのことばから滲み出る彼の哲学・思想に私はいつも心を揺さぶられる。
ライブ終盤、彼は『LIFE』の定義をこう言っていた。
(ネイティブの息子に読ませていた)
訳すと、
『生きとし生けるものが、その生命たるカタチであることを支えている、原理または力。』
という意味(らしい)。
そして、
とは、その力が戻ってくること。
私が今回「旅人」になったこと。
それは、自分が自分であるために、そうしたのではないかと思えた。
それがまさに『LIFE IS COMIN' BACK!』そのものだったということ。
一度折れた心が、本当の心が
自分が自分であるために、
生きる力が、「LIFE」が、どうしようもなく戻ってきた。
愛、祈り、光、かがやきに導かれ、
本当の心が指す「方位心針」をもとに、
自ずと私は「旅人」になった。
「旅人」になること、それはすなわち「自分になること」。
きっと現世を生きた後に「旅人」になるときがくるだろうが、そう考えると「死」というものは、肉体(物質)の次元を超越し、「本当の自分に還る」ということなのかもしれない。
それが旅の始まりとすれば、「生」はさらに続いていく。
「死」という概念。
それほどの怖さはないのかもしれない。
私はこの曲を、勝手に自分の人生のテーマ曲にしている。それくらい好きな曲だ。
「宇宙の中で良いこと」とは何か?
常にその問いはあるが、今回のことを経て、おそらくそれは「LIFE」のことではないかと思えてきた。
つまり、自分が自分でいること。
その生命たるカタチであること。
それは同時に「決意」という言葉に直結する。
その決意の上にある生命力(LIFE)は絶大だ。
改めて振り返ると、奇しくも「台風」という自然の偉大な力(神)が、それを気づかせるためにやって来たのではないかとすら思える。30年という時間軸とは別に、私にとっては、まるで宇宙が地球がそう演出したかのように思え、より一層『LIFE』というものを強く深く感じることができた出来事になった。(そんな演出を彼も思ってもないだろうが…)
そういう思いの中…
翌日、東京国立博物館で見た内藤礼の『生まれておいで 生きておいで』は、「旅人」の私には、とても沁みる内容だった。
その日の夕刻、再び北陸新幹線「かがやき」に乗り、無事「生活」に帰ってくることができた。
コスパ、タイパ、そんな世界線ではない。
どうしようもなく有難く、得難い体験ができた貴重な旅だった。
まさかここまで自分の身を投じ、心揺さぶるような東京遠征になるとは思ってもいなかった。
今の「生活」がより彩りを増したかのように思える。
生活、そして旅は続いていく。
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