TamoSomeBody

140文字からの解放区へ。 人生の着こなしを人生をかけて探究中。

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最近の記事

心の摘出

先月、大学時代同じゼミ室の先輩だったBE(べ)さんの個展に行ってきた。 当初一人で行く予定だったが、酷暑と夏休みで家で泥のようになっていた小2息子に「行く?」と訊くと、むくりと起き上がり「行く!」とのことで、一緒におけいはん乗って祇園四条へ。 おそらく約15年ぶりに会うBEさんとそのご夫人MAOさん。にも関わらず、当時と同じ空気感でお話できた。 それはまるで15年という歳月のフライトで、昔住んでいた大陸の岬の凹んだ形状の記憶だけを頼りに、36.5℃平温の滑走路へ無音無振

    • 旅人になった日

      今年5月、小沢健二の希少なライブチケットに当選した。8/31(土)東京、日本武道館で開催される超名盤『LIFE』の発売30周年を記念した一夜限りの特別なライブ『LIFE再現ライブ』。 私は41年間生きてきて、一度もライブ遠征なんてやったことのない人間だが、8/31にいよいよ初の単独東京遠征、そして人生初の日本武道館、それが『小沢健二』という、なんと機嫌無敵なDAYが実現する。 30年前といえば私は小学6年生。 中学受験、家なき子、コミックボンボン、運動会の組立体操でやった

      • フカフカのワンダーランド

        5月末、仕事でお世話になっているグラフィックデザイナー南部真有香さんの個展に伺った。過去にも何度か展覧会に伺ったことがあるが、この方の個展での作品が非常に面白く、企業向けのデザインとはまた性格の異なる自分自身の表現を、実験的かつ前衛的なアートとして、そこにぶつけていらっしゃる。 今回は、木版画とグラフィックのコラボ。そこで不思議と惹き込まれる作品に出会い、滅多にそういうことはないのだが、作品を購入するに至った。 タイトルは『pithecellobium confertum』

        • 国営英才教育

          6/28(金)大雨 今日の給食の献立は、カレーライス。 金曜の給食が「カレーライス」というのは、サラリーマンの金曜夜の「ビール」に近いモノを感じる。 さらに、祝日のない6月最後の金曜日に「カレーライス」を組み込むのというのは、なかなかオツというか、乙というか、少年少女への労いを感じる。 これでもし、5・6時間目が図工とかなら、朝から大雨だろうとテンション高めに、最後の週末を乗り切れるワケだ。 やまない雨はない。 じきに夏休みがやって来る。 そうやって生成されていく、

          ドリップ、石を穿つ

          40年間生きていると、勝手にそうなった、みたいなことがある。 最近でいうと、コーヒー豆を焙煎して、自家製のドリップパックが出来上がったときのこと。 テーブルに置かれたドリップパックの姿を見て、ふと「なんだこれ?」となった。 もちろん、勝手に「出来上がった」わけではない。だが、決して最初からコレをつくることを目指していたわけではない。 思えば最初にコーヒー豆を買って、家でペーパードリップで淹れ始めたのは、9年前…2015年のこと。 そのきっかけは、神戸のUCC博物館に

          ドリップ、石を穿つ

          破壊的リハビリ

          私は昔より絵を描かなくなった。 それはたぶん、線を引く意味を考えるようになってしまったから。 一手、一手が重い。「バランス良くしよう」という鎖が手に絡まっている。 さらに、 「大衆からどう見えるか」 「プロからどう見えるか」 といった過去の『他者評価型教育』の呪いで手が固まる。 特に、真っさらなキャンバスへの初めの一手は、まるで金縛りにあったかのようになる。 だが、こどもはそんなことを考えず、赴くままに描く。そうしてやっていること、そして出来上がる作品の素晴らしさに、私はい

          破壊的リハビリ

          健康体

          こどものため 家族のため 友達のため お客様のため 会社のため 世界のため みんなのため 色んなスケールの 「あなたのため」がある でも実は、 そういうのをひっくるめて全部 『自分のため』 だったりする その仕組みに気づかず、 「あなたのため」に日々過ごしていると どこかで自分が閉塞してしまう そういう世界に生きている。 だから命あるときくらいは できるだけ、 我が儘でいたい。

          「テスト」ってやつがあるから、気をつけな

          息子の小学校では、学校の取り組みで全学年が漢字検定を受ける。 その初めての漢字検定で、小1息子は見事満点で合格した。 といっても、10級なので小学校一年で習う漢字を普通に読み書きできれば、合格できるもの(合格率96%)らしい。 「満点」をとれば、普通の親は喜ぶ。 こういう書き方をすると「嬉しくないの?」と思われそうだが、もちろん喜ばしいし、誇らしく思う。 しかし、私の考えすぎか、既に複雑な気持ちになっている。 何がそういう気持ちにさせるか。 乳幼児期を経て、いま児童期の

          「テスト」ってやつがあるから、気をつけな

          喜びのフロンティア

          人間ってなんなんだろう 生きているってなんなんだろう そういった「問い」は、小さい頃から、母の運転する車の後部座席で横たわり、ガラス越しにずっと追いかけてくる月を眺めながら、思いふけることがよくあった。 でもそれを考え始めると、フワッと頭が真っ白になり魂が抜かれそうになるので、なるべく考えないようにしていた。 しかしながら、その「問い」は生きている限り、ないことにはできない。言い換えれば、「死とは何か」とイコールになっている。ゆえに今でも、ふと考えてしまうことがある。(そ

          喜びのフロンティア

          震度7

          元旦に起こった「震度7」の能登地震。 日々メディアやSNSを介して入ってくる情報に、なんだか気が重くなる。 というのも、前職で2~3年ほど輪島市や穴水町の仕事をしていたことがあり、あの辺りには思い入れがあるからだ。それに北陸には仲の良い母方の親戚がいる。 それでも「遠くのこと」といえば「遠くのこと」ではあるし、自分の日常生活に何か支障があるかといえば、防災の意識が以前より少し高くなった程度で、特段大きな変化もなく、去年と変わらない日々を送ることができている。 そして日曜日の

          「あそび」って?

          四十を迎えた去年あたりから「哲学対話」に興味を持ち始めた。 きっかけは去年、『水中の哲学者たち』(著:永井玲衣)を読んで。その中で出てくる「手のひらサイズの哲学」という考え方がスッと心におちた。「哲学」はそんなに高尚なものではない、日常生活の中でふと疑問に思った些細なこと(問い)について考えること、それが「哲学」であると。それなら普段私が色々考えているしょーもない(考えてもどうしようもない)ことは「哲学」になるのかなぁ、なんて思ったりした。それを他者との対話で色んな発見をし

          「あそび」って?

          まめっこサバイバル

          息子が一人で走り始めた頃。 外出する時は、あり得ることとして必ずお尻拭きと替えのズボンとパンツをリュックに忍ばせていた。それは5歳になる前くらいまでのことだった。 しかし昨日、もうすぐ7歳となる息子が急に催して我慢できずにコンビニに辿り着く前に、盛大にモノを漏らしてしまった…。一緒にカットに行ってお昼を食べた後、帰り道に公園で遊んでいるときのことだった。 全く予想だにしていなかった展開。 コンビニの多目的トイレを陣取る。 打掛錠の表示が青から赤へ、さながら緊急手術室と化す

          まめっこサバイバル

          エビカレー

          今日食べた日替わりエビカレーがなんかエビっぽくないなーと思ったらそういうことだった🍛 さらによくよく見てみると 男女の関係性を表す「AB」からの滑らかな「C」へのブリッジ。 取っ替え引っ替えしている浮気帰りの妻を夫が目を凝らして見ているかのような「替」。 そしてそもそもカレーではなく「彼(カレ)」だったということ。 幾つもの伏線があったにも関わらず、オレは何も出来なかった… ちきしょう…ダンッ(机を叩く音)

          エビカレー

          健全なる現実逃避

          なんかわからんけど、すごいものを作ったとする。 とにかく自信作だ。 それをすぐさま 幼少の頃であれば親に 学校であれば友達や先生に 会社員であれば同僚や上司に 大人であれば社会に とりあえず身近な人に シェアして「いいね!すごいね!」と褒められたい。 大人になっても、どんなに老いても きっと死ぬまで人は誰かに 褒められたい。 認められたい。 誰かに『認められる』 それは唯一、自分の存在を認識できる瞬間だろう。 それを常に欲しているような気がする。 みんなきっと自分が何者

          健全なる現実逃避

          デキアタ化現象への処方箋

          ある日の夕食時。 息子(6歳)が冷蔵庫からお茶の入ったガラスピッチャーを取り出し、キッチンカウンターに置いた自分のコップにお茶を注げるようになっていた。 身長約120cmの世界では、キッチンカウンターは高く、2リットルのピッチャーも結構重い。なんかいろいろグラグラしていて、見ている方はハラハラするけど、本人は一生懸命「ヨイショ、ヨイショ」とやり切った。 すごいな、成長したな、と喜びを感じる瞬間だった。 でもきっとそのうち、そんなことは「当たり前」になってしまうだろう。 「

          デキアタ化現象への処方箋

          お中元~不条理の詰め合わせ~

          NODA・MAP 第26回公演『兎、波を走る』を観てきた。 NODA・MAPの公演を観るのは、今回で4回目。(NODA・MAPとの出会いについては、以前の記事『村人C』をご参考いただきたい。) (※下記、内容に触れる箇所があるので、ネタバレご注意下さい) 感想は、タイトルの通り。 内容は様々な文学作品がモチーフとなっていると思われるが、そもそも私がロシア文学やドイツ文学(というか文学全般)に無知なため、色々張り巡らされた伏線も読み取れず、話の全容を把握できなかった…。故

          お中元~不条理の詰め合わせ~