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「みんなおなじ」から逃れたさきに
前歯と救命講習
冬のある日の午後、フリースクールの運営者から電話がかかってきた。
娘が畑で遊んでいるときに、凍った水たまりで足をすべらせ転倒して、前歯を折ってしまった、というしらせだった。
学校からわが家までは徒歩とバスあわせて40分以上はかかる。
「すぐ家に帰してください」と頼んで電話を切って、急いで近所の歯科医院に電話した。歯科助手の人いわく、折れた歯片を適切な方法で保存して、神経が死んでしまう前に処置すれば、元の歯につなげることも不可能ではないそうだ。
「歯は乾燥に弱いから、牛乳か水に浸してください。接合ははやければはやいほうがいいので、すぐいらしてください」
どたばたとカーシェアの車を借りきて、ちいさいタッパーウェアに水をそそいで準備万端。いまかいまかと玄関先で娘の帰りを待つが、いっこうに帰ってくる気配がない。ふたたび学校に電話かけてもつながらない。10分おきにしつこくかけて、何回目かにようやくつながると、
「ちょうど帰りの会の時間だったので、それが終わるのをまってから、途中まで一緒に帰ってきました」
という呑気な報告が返ってきた。
ええ? なぜ終わりの会を優先させたのか。こんなことになるのならば、ぼくが車で迎えに行った方がまだ早かった。
さらに30分ほど待って、ようやく家に着いた娘を車におしこんで病院につれていく。真ん中でぽっきり折れてしまった歯を、医師は手際よく継いでくれた。レントゲンをとって確認したが、歯の中心部の神経が生きているか死んでいるかは現時点でははっきりわからない。
数日後、ふたたび通院し検査する。
「残念ですが、歯の神経は死んでいる可能性が高いです。今後痛みなどがあったら、また病院に来てください。しばらくはこのまま様子をみて、成長期が落ち着いたら差し歯にするのがいいでしょう」
がっくりうなだれて歯科医院をあとにする。
娘の前歯は表面上はつながっているが、時間の経過とともに樹脂で継いだ部分が亀裂とわかるようにすこし変色した。歯並びのことも気にしていたので、ほんとうにかわいそうなことをした。
ぼくは自分の手際のまずさを悔やんだ。あのとき、学校からの連絡を悠長に待たず、さっさと自力で迎えに行っていれば、娘の歯はつながっていたかもしれない。
そのことがあってから、ぼくと妻はフリースクールの安全対策について、心配を募らせるようになった。今回は歯一本ですんだが、もしも、より重篤な怪我が起きたとき、彼らはちゃんと対応できるのだろうか。
運営者に尋ねたところ、フリースクールで歯を折る子は毎年のようにいるが、折れた歯片を牛乳に漬ける、できるだけ早く病院にいく、という処置についてはまったく知らないようだった。
日々、子どもたちは畑や森でのびのびと遊んでいる。自然のなかでの活動にはリスクがつきものなのは承知しているし、なんでもかんでも危険といってしまったら、子どもが自由に遊べる選択肢を奪ってしまうことにもなりかねない。でも、万が一、緊急の対処が必要な事故が起きたとき、ただ手をこまねくようなことになりはしないか。
フリースクールにAED(自動体外式除細動器)の用意はない。それが必要な状況になったら、近所の保育園かバス停まで借りにいくという。往復で数Km。車をつかって急いだとしても、受け渡しなども含めたら15分以上はかかりそうだ。事故現場に大人がいなかったら、さらに時間がかかるだろう。
AEDはすぐに設置できなかったとしても、基本的な救急救命の講習くらいは受けておいたほうがいいんじゃないか。骨が折れたとき、頭を打ったとき、心肺が停止したとき、見守る大人が少ないのであれば、子どもたち自身でサバイブするしかない。
子どもたちだけではなく、講習を受けたい保護者もいるはずだ。
保育園ではたらく妻は、AEDの使い方や心臓マッサージ、人工呼吸などひと通りの救命講習を受けているが、たとえ毎年復習していたとしても、いざ現場でそうなったら自分が冷静に練習通りにちゃんとできるか、いつも不安があるという。もっともな気持ちだと思う。保護者会でそのことを議題にしてもらって、近所の消防署に救命講習の依頼をしよう、ということになった。
それから一ヶ月ほどして、フリースクールからいきなり連絡がきた。
「数日後に講習をやりますから、来れそうな方は来てください」
妻は保育園に勤めているし、ぼくも自宅で働いているとはいえ、こんな短いスパンで調整はできない。ほかの保護者もおなじだったようで、残念ながら参加できる人はほとんどいなかったようだ。
講習の日、学校から帰ってきた娘に「どんなかんじだった? 心臓マッサージうまくできた?」と聞いたら、浮かない表情で今日の出来事を話しはじめた。
「講習は全然できなかった。それどころか、消防士の人怒っていたよ」
前もって事前学習の動画を観ておくように、と消防署からいわれていたが、だれも動画をみていなかった。さらに、コロナ禍なのにも関わらず、マスクをしている人が極端に少なかった。それを消防士が指摘したら、
「自分はマスクをつける必要はないと思っている」
と運営者のひとりがつっぱねたそうだ。消防士はすっかり呆れてしまって、子どもたちはかんたんな説明こそ聞けたものの、心臓マッサージや人工呼吸の練習はまったくできなかった。
わざわざ時間を割いて来てくれた消防士はとんだ災難だったろう。事前学習だけではなく、そもそもなぜ救命講習の必要があるのか、子どもたちの間で話し合いはされていなかったという。
「しょうがないよ、ああいう人たちなんだから」
娘は、もうなれっこだよ、という調子でいる。
もちろん、救命講習を一回やったからって、安全対策がガラッと変わるわけではない。でも、こんなやり方しかなかったのだろうか。
その後、あらためて救命講習が開催されることはなく、なし崩し的にもう十分でしょう、というムードになってしまった。残念ながら、AED設置についても、ふたたび話題にのぼることはなかった。
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コロナは「愛」でのりきります
自宅からフリースクールまでは自転車通学の子が多いが、公共のバスに乗って通う子たちもいる。うちの娘もバス通学派で、ほかの子がバスに乗る時間にあわせて、近所のバス停から合流していた。
ある日、バスに同乗したお年寄りの女性が
「いまは新型コロナウイルスが流行っているから、バスにのるときはマスクをしてほしい」
と子どもたちにいったそうだ。
ところが、彼らはその女性のことばを無視してバカにするように嘲笑い、バスを降りたあとも、その女性を滑稽に真似してみせるなど、笑い草にしていた。それを横で見ていた娘は、すごくいやな気持ちになったという。
高齢者や持病をもった人たちが、あの時期どんなに不安な思いをしながら生活していたか。マスクをするしないは個人の自由だし、身体的理由からマスクをすることができない子もいる。でも、そんなふうにマスクをつけている人をバカにするのは、なにか違う気がする。
当時、子どもの集まる場所で感染対策をどこまでやるか、というのはすごく難しい問題だった。
ぼくが開催していた子どもの絵のワークショップでは、一回あたりの参加人数を減らし、無理のない範囲ではあるが、活動中はできるだけマスクをしてもらうようにお願いしていた。
公立の小学校では、毎日教室や階段の手すり、使用した教材などをことこまかに消毒しなくてはならず、それが教師たちのちいさからぬ負担になっているということは、何人もの友人から聞かされていた。
一方で、感覚過敏でマスクがつけれないことから、学校の立ち入りを禁止され、そのまま不登校状態になってしまった子もいた。
これはマスクに限った話ではないが、完璧を求めようとする感染対策が集団生活を窮屈にさせ、ときには同調圧力を焚きつけるガソリンになることもある。
台湾のデジタル大臣だったオードリー・タンさんは、感染対策に必要なのは「素早さ」「公平さ」「楽しさ」であり、なにより他者への「思いやり」を忘れてはいけないと語った。
いろんな考え方、感じ方する子ども、異なるバックグラウンドを抱える家庭が関わってくるのが学校という場所だ。
単純に、マスクをする人/マスクをしない人、と記号化してしまうのではなく、ひとりひとりの気持ちに想像をめぐらせ対話はできないか。
それぞれの意見を出し、違いを認めあいながらも、どんなふうに落とし所をみつけ、集団のなかでの合意形成をしていくか。それはひじょうに面倒くさいことではあるが、主体性のある、民主的な考え方を体得するための重要な実践となる。
このことを親と子と運営者でみんなで話し、今後フリースクールとしてどういう基準で対策していくか決めませんか、と保護者会で提案した。
親のなかには「コロナウイルスは捏造されたもので存在しない」という陰謀論を真剣に主張する人もいたが、たいがいの人は、わからないなりにも、こういう基準をもって、工夫して生活している、と話してくれた。
しかし、想像の斜め上から発言する人がいた。運営者のふたりである。
「コロナは目に見えない。目に見えないものについて恐れたり、悩んだりする必要はない。風邪とおなじで熱がでたら休めばいいだけです」
とひとりがいうと、もうひとりが「そうそう…」とことばをつづける。
「この学校はふつうの学校とちがって、家族のような絆で結ばれているんです。わたしたちには家族の愛があるから、コロナウイルスには感染しません」
ちょうどそのころ、韓国ではキリスト教の教会が感染を広げる場所のひとつになっていると指摘されていた。インドでは都市がロックダウンしたことで、地方出身者が田舎に帰省して感染を広げたことから、高齢者がたくさん亡くなっていた。彼らにも家族愛や信仰心があって、コミュニティとしてはもっと強固だったはずだけど、ウイルスは容赦なく感染していった。
ウイルスはたとえ目に見えなくても存在しているし、無症状や軽症であろうと他人に伝染させる力を持っている。世界中の科学者たちが躍起になって研究しても全貌は明らかにならず、そうこうしているうちに新種亜種が生まれていく。素人のぼくらが語れることは、氷山の一角にも満たないだろう。だとしても、「見えないものは信じない」という乱暴な考え方は、どうにものみこめなかった。
感情、理性、記憶はもとより、人が人をおもんばかる気持ち……うまくことばにならない、目に見えないもののおかげで、ぼくたちは傷ついたり、救われたりしている。とくに子どもは日常的に「目にみえないもの」について感じたり、語ったりすることが多い生き物だ。
「このことは学校でも子どもたちに話しましたが、みな納得してくれましたよ」
運営者はそう主張して、具体的な感染対策の話には至らぬまま、保護者会は終了した。
釈然としないまま家に帰って娘に尋ねてみると、たしかに数日前そういう話が運営者ふたりからあったらしい。
その理屈であなたも、ほかの子たちもほんとうに納得したの? と聞くと、彼女はぶっきらぼうにいい放った。
「いや、だれも納得していないと思うよ。反対する意見をいうとあの二人が怒るし、お説教が長くなるから、みんな面倒くさくて、そうそう、はいはい、わかりましたー、って答えたんでしょ」
見えていなかったのはコロナウイルスではなく、子どもたちの本音だった。
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「同調圧力」を嫌う人たちの同調圧力
不登校になる原因は子どもによってじつにさまざまだ。百人いたら百人の理由があるし、その理由も複雑に重なり合ってうまく言語化できないものが多い。ぼくだって自分が小学生のとき、どうして不登校になったのか、理路整然と説明できる自信はない。でも、「これはいやだった」という要素をいくつかあげることはできる。
そのひとつに「同調圧力」がある。このことばを知ったのは大人になってからだったけど、「みんなとおなじがいい」と考える人たちは、ぼくが子どものころにもたくさんいた。おなじテレビ番組を見て、おなじ漫画を読んで、おなじような服を着て、おなじように笑う。ちょっとでもそこから外れると、「変わった人」のレッテルが貼られる。自分がどうかということよりも、みんなとおなじを優先する。そういう空気が充満し、ときにはプレッシャーとなって、自由に生きようとする人たちをしめつけ、疎外してきた。
娘が不登校になって間もないころ、公園で同級生の女の子たちにでくわしたことがあった。
「みんながんばって学校にいっているのに、なんで休んでいるんや。ズルい」
まるで体育館の裏に呼び出す女番長のようなふるまいで、娘は公園の植え込みの陰に連れて行かれ、そんなふうにつめられた。彼女はひどく落ちこみ、しばらくその公園には行きたくないといった。
「わたしだってがんばっているのに……」
そりゃそうだ。がんばって学校に行こうとした、けれど、そこにいると辛くなってしまう。いま、家にいるときも、べつに怠けているわけじゃなくて、十分がんばって毎日をすごしている。
ぼくも最初はひどいことをいうなぁ、と思ったが、しばらくすると「ズルい」ということばの裏に、その同級生のま逆の気持ちが見え隠れしているような気がした。その子にとって、学校はがんばって行かなくてはいけない場所なのだ。きっと休みたい日もあるのだろう。でも、自分には行かないという選択肢はない。自由に遊んでいる娘を見て、つい「ズルい」ということばが口から飛び出してしまったのかもしれない。
「多聞はいいよなぁ、学校行かなくて」
ぼくも小学生のとき、同級生からよくいわれた。でも、それは大人になってもおなじだった。
「そんな長くインドに行けるなんていいですね」
「好きなことを仕事にできて羨ましいなぁ」
ということばは数え切れないほど投げかけられた。表現こそ柔らかいが、そこには「わたしはそんな長く休みはとれない」「いまの仕事を好きになれない」という気持ちが潜んでいるような気がする。
自分の現状を両手を上げて肯定できる人はすくない。上司や同僚と話題をあわせ、自分を制しながら「みんなとおなじ」を演じてうまくやっているのに、なんでこの人は能天気にインドで暮らし、絵を描いたり本をつくって楽しそうに生きているんだろう、と羨む気持ちもわからなくもない。
でも、そういう人に「あなたもやってみたら?」といってもポカンとされるか、「いやいや、無理ですよ」といわれるのがオチだ。そういうときは、自分が社会のなかの「変な人」であることをひきうけてしまったほうがいい。変人になれば、おなじ土俵では比較されなくなる。
「みんなとおなじように」宿題をやり、遅刻をせず、先生のいうことをきちんと守る。目立たず、抵抗せず、丸くおさめる。それが学校というものだし、大人になって社会で生きていく上で大切なことだ……不登校の子も親も、そういう空気=同調圧力にずっとさらされてきた。だからこそ、フリースクールにいけば、ひとりひとりを大切にする、まったく違う風景が見えるにちがいないと期待してしまう。しかし、フリースクールも人間の集団であることにはかわりない。
アリの観察をすると、どの巣にも働いているアリと働かないアリが決まった割合でいることがわかる。働きアリだけを集めてほかの巣に移住させると、完璧な働きアリ集団ができるかと思いきや、働かなくなるアリが増えて、やっぱりおなじ割合に落ち着いてしまう。いわゆる、「働きアリの法則」と呼ばれるものだが、同調圧力の発生の仕方も似ている。
「マスクをつけなさい」という圧力を逃れたさきに、「マスクをつけるのはおかしい」という圧力が生まれる。かつて同調圧力にさらされて嫌な思いをした人たちが、別の集団でマジョリティーとなったとき、悲しいかな、あたらしい同調圧力をつくりだすのだ。それは集団の少数派にとって恐怖でしかないが、多数派にとってはゆるぎない安心となる。はためからはぎょっとすることもあるが、当人たちの居心地はよさそうだ。
「社会から打ち捨てられた人が協働してあたらしい社会をつくりだす」というフレーズは心の踊る。でも、そこには無数の落とし穴がアリ地獄のように潜んでいる。
自分の声が大きくなっているとき、ないがしろにしているちいさな声はないか。都合の悪いことを聞かない、話さないことで触れる世界をせばめてしまっていないか。人間をパターンにあてはめて判断していないか。たえず注意していないと、無意識のうちに自分も同調圧力をつくりだす一員になりかねない。
ぼくが小学6年生だったときの担任、石井先生がいっていたことばが、ことあるごとに思い出される。
「なにかを理解したと思っているときは、同時になにかを見逃している。そのことに気がつかない。わかったとおもうときは気をつけたほうがいい。わからないとおもっているときのほうが正常だよ」
どこまでいっても、子どものことはわからない。だから、ずっとずっと考えられる。
〈つづく〉