矢萩多聞

画家・装丁家。1980年横浜生まれ。中学1年で学校をやめ、南インドと日本を往復して暮らす。2002年から本づくりに関わるようになり、これまでに600冊を超える本をてがける。2012年から京都移住。著書『本とはたらく』(河出書房新社)、『美しいってなんだろう?』(世界思想社)など。

矢萩多聞

画家・装丁家。1980年横浜生まれ。中学1年で学校をやめ、南インドと日本を往復して暮らす。2002年から本づくりに関わるようになり、これまでに600冊を超える本をてがける。2012年から京都移住。著書『本とはたらく』(河出書房新社)、『美しいってなんだろう?』(世界思想社)など。

マガジン

  • あきちの学校ノートブック

    京都にある子どものまなびとあそびの場「あきちの学校」をめぐる随想ノート

  • 矢萩多聞 齋藤陽道 往復書簡

    • 1本

    2024年スタート。『100年先にも残る写真集をめぐって』矢萩多聞さんと齋藤陽道が往復書簡をします。なんだかすごそうな写真集がやってくるぞ、というお知らせをしていけたら。

最近の記事

学校は子どもを鍛える場所か

暴力でないと伝わらない  ある日、娘が家に帰ってきて、手が痛いと泣きはじめた。箸も鉛筆も持てないという。よくよく話を聞くと、フリースクールの男子に蹴られたことがわかった。  彼女が通うフリースクールでは、ボードゲームやカードゲームで遊ぶ時間がある。その勝ち負けをめぐって、相手を執拗に罵りあい、しばしば喧嘩になると聞いていた。つい数週間前も、それが原因で娘は身体を引き倒され、背中と腰を痛めたばかり。またゲームで?!、とおもったらそうではなく、今回はお菓子の配分のことで不満が

    • 「みんなおなじ」から逃れたさきに

      前歯と救命講習  冬のある日の午後、フリースクールの運営者から電話がかかってきた。  娘が畑で遊んでいるときに、凍った水たまりで足をすべらせ転倒して、前歯を折ってしまった、というしらせだった。  学校からわが家までは徒歩とバスあわせて40分以上はかかる。  「すぐ家に帰してください」と頼んで電話を切って、急いで近所の歯科医院に電話した。歯科助手の人いわく、折れた歯片を適切な方法で保存して、神経が死んでしまう前に処置すれば、元の歯につなげることも不可能ではないそうだ。  「歯

      • フリースクールって、なにが「フリー」なの?

         「もう学校には行かない」宣言をして、晴れて(?)不登校となった娘は、小学三年生二学期から京都市の北はずれにある某フリースクールに行くようになった。  バス停から住宅街を抜け、車一台がかろうじて通れる細い農道を進んだ先、畑にかこまれた民家がぽつんとある。ここに小学生から中学生まで20名弱の子どもたちが集い、遊び、学んでいる。ふつうの学校にいってみたがうまくいかず不登校になった子もいれば、はなから公立の学校にいかなかった子もいる。学校案内によれば、「自分たちで学びを計画し実行

        • 些細なことだけど、ちいさくない

           このnote連載も4回目。毎回いろいろな方から声が届いて、ものすごくありがたい。いただいた感想やツイートは、(今年中2になった)娘にも見せて、「こんなに読んでくれる人がいるなんて」とふたりで話している。  この数年間、不登校のことはわが家にとって、もっともホットで切実な話題のひとつだったが、いざ文章をしたためたところで興味を持って読んでくれる人がいるかどうか不安だった。とくに、あきちの学校がはじまるまでの前日譚は、「学校のこんなところがおかしいよ」という話がこれでもかとい

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        • あきちの学校ノートブック
          7本
        • 矢萩多聞 齋藤陽道 往復書簡
          1本

        記事

          "学び"はだれのもの?

          宿題って、ほんとうに必要ですか  ぼくが小学生のころ、「宿題」と名のつくものは6年間を通して、ほとんどやっていかなかった。  日常的な宿題はなかったことにしてやり過ごし、夏休み前に渡される 山のようなプリントの束は、二学期がはじまるころには行方不明になるのが常だった。仕方なく、夏休み中につくったものや描いた絵を持っていき、むりやり「これがぼくの宿題です」ということにする。  自分で気になったことは、まわりの人に聞いたり図書館にいって、とことん調べるが、先生から「これをやりな

          "学び"はだれのもの?

          「学校に行かない日」がやってきた

          学校って、そういうところ? 「学校にいきたくない」  ある朝、娘がそういった。小学一年生にあがって、まだ数ヶ月もたっていないころだ。  彼女は幼稚園のときから、小学校に憧れて、通学をだれよりも楽しみにしていた。だが、この世の春のように期待に目を輝かせ、くったくなく笑っていた入学式の表情はどこへやら、玄関先で足を止めるわが子の顔には重く暗い雲がおおいかぶさっている。  どうしていきたくなくなっちゃったの? とぼくが聞くと、「先生がいやだ」「気持ちよく学校にいれない」「きまりが

          「学校に行かない日」がやってきた

          ノートブックはじめます

           2022年春から、毎週わが家の居間を開放して、子どものための学びと遊びの場「あきちの学校」をひらいている。  「ひらいている」といっても、ぼくは主催者ではなく、お手伝いをしているだけ。活動の中心にいるのは不登校の子、学校に行きづらさを感じている子どもたちだ。  朝10時、手製の看板を玄関先にだすと、ポツポツ子どもたちがやってくる。  午前中は、ことばや表現と遊ぶ「つづりかた」、数やしくみのふしぎを探求する「そらばん」のどちらかに取り組む。一見すると勉強っぽいが、ふつうの国

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