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"学び"はだれのもの?
宿題って、ほんとうに必要ですか
ぼくが小学生のころ、「宿題」と名のつくものは6年間を通して、ほとんどやっていかなかった。
日常的な宿題はなかったことにしてやり過ごし、夏休み前に渡される 山のようなプリントの束は、二学期がはじまるころには行方不明になるのが常だった。仕方なく、夏休み中につくったものや描いた絵を持っていき、むりやり「これがぼくの宿題です」ということにする。
自分で気になったことは、まわりの人に聞いたり図書館にいって、とことん調べるが、先生から「これをやりなさい」といわれて渡されると途端にやる気が失せてしまう。ドリル、書き取り、読書感想文、観察日記……いずれも面白く取り組めない。宿題を出さないことで先生から叱られると、「もう意地でも提出するもんか」という気持ちになって、ますますそっぽを向いてしまう。マイペースにもほどがある。さぞ、あつかいにくい子どもだったにちがいない。
そんなアマノジャクなぼくとは正反対で、娘はとても真面目な性格だ。「先生からだされた宿題は、絶対やっていかないといけないんだよ」という。
そうはいっても、いざ漢字の書き取りや、計算のプリントにむかってみると、単調な作業がしんどくなって、まったく楽しめないようだ。楽しくないから宿題が進まない。宿題をもっていかないと先生に怒られる。先生に怒られるのが嫌だから学校にいきたくない……とドミノ倒しのように気持ちが崩れていって、毎朝の登校前、パニックになってしまう。
「宿題なんてやれるときにやればいいんだから、かならずやっていかなくてもいいんだよ」とぼくがいっても、「そうはいっても、先生が……!」と泣きだす。小学一年生にとって「先生」は、親が思っている以上に絶大な存在なのだ。
小学校にはいりたてのころ、娘は学校で覚えたあたらしい文字をつかって日記や手紙を書くことにはまっていた。幼稚園児のときから本が好きで、読み書きは達者だったが、国語の授業であたらめてことばを習い、毎日すこしずつ書ける漢字が増えていく、という状況が単純に嬉しかったのだろう。
土の中から堀りだしたばかりのじゃがいものように、ノートの上にはころころと愛おしい文字たちが並んでいた。
「おたくの娘さんから手紙もらったで。賢い子やなぁ。ありがとう」
ある日、となりの家のおじいさんから、とつぜん声をかけられてびっくりした。
よくよく聞けば、ぼくらが知らないあいだに、娘は手紙を何通もしたためては、おなじ通りの家々の郵便受けにポスティングしてまわっていたそうだ。娘は内緒のイタズラがばれたときのように、えへへ、と舌をぺろり出してみせたが、ぼくは親バカにも「なんてすばらしい!この子は天才だ」と感激した。
ぼくがインドに暮らしていた十代のとき。土地の言葉を習って、あたらしい語句を仕入れると、むやみやたらにまわりの人に使いたくなったものだ。そんなとき、インドの人たちは手を叩いて喜んでくれた。たとえ発音や文法が怪しくても、すごいすごいと大げさに褒めてくれた。あのひとつひとつのやり取りがぼく自身の喜びとなり、次なる学習への原動力となった。
娘のひそやかな行動がぼくはうれしくて、「しあわせの手紙配達事件」の顛末を、おすそわけするような気持ちで彼女の担任教師に話した。
「だれにも頼まれていないのに手紙を書いた、というのがすごいことじゃないですか。こういうことがなによりの復習だとおもうんです。だから、もし先生が出した宿題をやってこない日があっても、叱ったり責めたりしないでほしいんです」
だが、教師が返したのは、予想もしない冷ややかな反応だった。
「おとうさんの教育方針はわかりました。しかし、娘さんにだけ宿題を出さなくてもいい、というと、ほかの子にシメシがつかなくなります。特別あつかいはできません」
……ゴーーーン。頭の中に鐘が鳴った。
ぼくが彼に伝えたかったのは、特別あつかいしてほしいということじゃない。いってみれば、ほかの子どもたちにだって、宿題を無理強いすることはない。
はたして、問題は宿題をやってこない子ども側だけにあるのだろうか。取り締まりを強化するのではなく、これを機会に先生自身も「宿題」について考えてみたら、あたらしい風景が見えてくるんじゃないか。
プリント何枚分というふうには数えられないかもしれないけど、子どもたちの内面では、それぞれのやり方で日々の学びが反すうされているはずだ。
世界を見回せば、宿題を出さない学校はけして珍しいものではない。宿題をなくしてみたら、放課後の時間が充実して、むしろ学力が向上したという事例もある。
友人の務める小学校では、校長先生が率先して「子どもたちに宿題は必要か」という問題を大真面目に研究・検討し、「必要ではない」という結論に至ったという。
オルタナティブ・スクールでは、ふつうの学校のような宿題はなく、教室に復習のプリントがドサッとはいった棚があって、やりたい子が自分のペースにあわせて自由に持ち帰れるようになっているところが多い。
あまり知られていないことだが、文科省が出している学習指導要領にも、「学習習慣が確立するように配慮すること」とは書かれているが、「宿題をやらなくてはいけない」と謳われてはいない。
児童の発達の段階を考慮して、児童の言語活動など、学習の基盤をつくる活動を充実するとともに、家庭との連携を図りながら、児童の学習習慣が確立するように配慮すること。
小学校学習指導要領「第一章 総則」より)
宿題をやりたい子はやればいい。でも、「シメシがつかない」というセリフのように、「みんながやっているから、あなたもやらないといけない」という理屈を盾に宿題を強制して、やってこなかった子を吊るし上げるような方法は、子どもの意欲をかえって削いでしまうことにはならないだろうか。
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「わかりましたか?」という号令
ある日、なにかの用事でわが家に立ち寄った友人が、こないだ登下校中の娘をみかけた、と話してくれた。ふだんは怖いもの知らずで、明るくおしゃべり、はじめて会う大人にもバンバン喋りかけていくような社交的な子。そんなイメージを娘に抱いていた友人は、ランドセルを重そうに背負って、とぼとぼと通りをひとり歩いている彼女の悲痛な姿をみて驚いたという。
「あまりにも深刻そうな顔をしているから、声もかけられなかった。そうとう学校がしんどいんじゃない? だいじょうぶ?」
と心配してくれた。
娘はしきりに「学校には休める時間も場所もない」といっていた。疲れたらいつでも保健室にいけばいいし、休み時間も無理に遊ばないで、どこかちょうどいい場所を見つけてお昼寝してみたら? とすすめてみたが、かぶりをふるばかり、曇った顔は晴れない。
ぼくは一学期がはじまってすぐにあった授業参観の日のことを思い出していた。
ちょっと前までは保育園の庭ではしゃぎまわっていた子たちが、おとなしく机を並べ、真剣な表情で座っている。はじめての「授業参観」に緊張している子、ちらちら後ろをふり返っては自分の親を探している子、ソワソワした気持ちがこちらまで伝わってくる。なんとも初々しい風景だ。授業参観なんて退屈だろうな、とおもっていたぼくも、懐かしいようなくすぐったいような、妙な心持ちでわが子とそのクラスメイトの姿を眺めていた。
しかし、そんなほんわかした気分でいられたのは最初の数分だけ。
ことあるごとに、担任の男性教師が声を張り上げて「わかりましたか?」と子どもたちに聞く。子どもたちは、まるで「イエス・サー」みたいなレスポンスで、「わかりました!」と声をそろえる。
さらに、先生は5分おきに「はい! いい姿勢をしましょう」と全員に号令をかける。先生が声をかけるたび、子どもたちはガタガタと椅子に座り直して背筋をぴんと伸ばす。
ぼくは小学校の体育で「気をつけ」「まわれ右」「休め」と先生に命令されて、その動きに合わせないといけない、あの時間がほんとうにいやだった。体育座りというおかしな座り方をさせられて、どうやったって背中が前かがみに曲がってしまうのに、怠け者許すまじ!とでもいうような圧で「背筋を伸ばして!」と怒られる理不尽さ。苦々しい思い出が喉元をのぼってくる。
しかも、いま目の前でくり広げられているのは、体育ではなく、国語の授業だ。娘が「学校がつかれる」といった原因のひとつは、こういう空気そのものにあったのかもしれない。
授業の内容は「50音のさ行の文字を覚える」というものだった。
「"し"の音ではじまることばにはどんなものがあるでしょう?」
先生からの問いかけに、あちこちから元気な声とともに手があがる。
「しろ」「しか」「シール」「しまうま」「した」……あてられた子がつぎつぎと答えていくなか、ある男の子がぽつりと答えた。
「したい」
したい。つまり、死体。ぼくは、おもしろい答えをいう子がいるなぁ……と感心していたのだが、それを聞いた先生は一拍おいて、その子にぴしゃりいい放った。
「死体は怖いな。気持ち悪い。それはだめだ。別のことばにしなさい」
えっ? と思った。せっかくその子が自分で思いついたことばなのに、先生が怖い、気持ち悪い、という一方的なイメージで不正解にしていいのか。「死」や「死体」は生物の状態を表す単語で、公衆の面前でいうのをはばかられるようなFワードや、人を傷つけるようなスラングではない。
「したい」と答えた子は、娘とおなじ幼稚園に通っていて、よく園庭でいろんな虫を捕まえては観察していた。昆虫遊びをしていれば、虫の死骸に触れることはあたりまえだ。生活のなかのありふれたことばとして、「したい」という語句がでてきたのかもしれない。
そういう背景を想像することもせず、「死」ということばを教師が一刀両断に切り捨てたことに違和感を感じたのは、ぼくだけじゃなかったはずだ。
授業はそのあとも、「わかりましたか?」「わかりました」というかけ声がくりかえされる。子どもたちの声が合唱のように重なって、教室に響き渡るたび、不正解にされた男の子のぽつんとした背中が、よけいにかなしく際立ってみえた。
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先生の手、子どもの手
「きょう、こんなことがあったんだよ。しんじられる!?」
夕食のとき、娘が鼻息あらく、その日学校でおきたことを話しはじめる。 たいがいは、先生がこんなことをわたしにいった、自分は納得できなかった、という話だが、ときどきクラスメイトと先生とのやりとりが、話題にのぼる。
ある日の図工の時間。みんなで運動会の絵を描くことになった。画用紙に鉛筆で下書きをして、絵の具で色を塗って完成させる。ひじょうにオーソドックスな授業だ。
娘は絵を描くことが好き。おもいのまま鉛筆をすべらせていたが、近くの席の男の子はぼんやり紙を見つめたまま考えて、なかなか描きだそうとしなかった。べつに描きたくないわけではないようだが、それを見た先生は、男の子を鉛筆をとりあげて勝手に下絵を描いてしまった。そして、「色は自分で塗りなさい」と絵筆をわたした。
男の子が人物を青色の絵の具で塗りはじめると、また先生が飛んできて怒鳴った。
「人のはだが青色なのは気持ち悪いなぁ。やりなおしなさい!」
ふたたびあたらしい紙がわたされ、男の子に筆をにぎらせると、その上から先生が手をかさねて、「人間のはだは、はだいろやろ」と、はだいろの絵の具を塗りはじめた。
「あれじゃ、ぬり絵だよ。自分で好きな色でぬれないんだから、ぬり絵よりひどい。あの子は自分で絵が描けるから先生の助けはいらないし、青色にしたかったらすればいい。そう描きたいんだから。なんであんなことするの?」
娘は身振り手振りをまじえて、先生の尊大なふるまいを真似してみせながら、まるで自分のことにようにぷりぷり怒っていた。
ぼくは他県のとある支援学校を見学したとき、まったくおなじような光景をみたことがある。
そのときも図工で運動会の絵を描いていたのだが、四肢が動かしにくい子の手を先生ががっちりにぎって、絵筆を動かしていた。それも手をそえるというかんじではなく、まるであやつり人形のように動かしていたので、横で見ていたぼくは、あれ? とおもった。
先生が望んだような絵にならなかったとしても、その子が自らの手で絵を描くことに意味がある。絵は自分で描くからこそ、造形の快楽に触れることができる。もしも、その子が描きたくないといったとしても、無理やり絵筆に持たせて絵を描かすのは、やっぱり違うとおもう。見方によっては、「描かない」ということも、その子の表現のひとつだと受け取ることもできる。
かつて、京都北部の与謝の海特別支援学校に、写真家の吉田亮人さんとともに一年間近く通って取材をした。ここは日本で二番目に古い支援学校で、日本の障がい者教育のメッカともいえる重要な場所だ。「子どもが学校にあわせるのではなく、学校が子どもにあわせる」という思想のもと、子どもたちの多様性や人権を大切にした学びが実践されている。
この学校の創立運動の中心人物で、のちに校長を務めた青木嗣夫先生は「手のつなぎ方に教育がある」といった。
どんな状況にあっても、教師から子どもの手をにぎっていけない。大人のちからで子どもの手をにぎったり、ひっぱったりすることは「教育」ではなく「拘束」であり、子どもの人権、からだの主体を侵害していると、厳しく批判した。
教師は指をさしだして、子どもの意思でにぎってくるのを待つ。子どもがにぎってきて、はじめて教師はそれに応えることができる。「手をつなぐ」というささいな行為でさえ、主体はつねに子どもにあるのだ。
いまでも、与謝の海支援学校では、大人の行動が子どもの主体を阻害していないか、先生同士でも目を光らせていて、うっかりそのような行動をしてしまった教師がいた場合はおたがい注意しあっているそうだ。
このことは支援学校だから、障がい者教育だからという、括弧つきの話ではなく、ふつうの学校でも取り入れてもらいたい考え方だとおもう。
不登校の子どもの手をとって、校舎内や教室に無理やりひっぱっていく教師はよくいる。そういう経験が子どもにとってポジティブな結果を生み出した、という話はほとんど聞かない。多くの場合、自分が家畜のようにあつかわれたことから、先生に対して恐怖心や不信感を抱くようなり、よけいに学校にいきたくなくなる。ひとりひとりの思いを無視し、理不尽に強制することほど、子どもの自信を踏みにじるものはない。
手をとって絵を描かせること、よい姿勢を強いること、わかりましたと号令させること、ペナルティをちらつかせて宿題をさせること……一見バラバラにおもえる事象が、いまは一本の糸でつながってみえる。
青木先生の「手つなぎ」のような姿勢で待つ。
だれに命令されることもなく、子どもが自分から手をのばしたその瞬間にこそ、学びの火花はバチッと輝く。それを信じることができなければ、わたしたちにいったいどんな学びがあるだろう。
一般的な椅子を不安定に感じる子どもがいるなら、その子が無理な姿勢をとらなくても座れる椅子をつくればいい。環境の方を変えてあげたら、その子にとって、より楽な座り方ができるかもしれない。(…)
人間は「ぼくが歩いている」と思ってしまうが、ほんとうはどんな人も自分の力だけでは歩けない。レモンを酸っぱいと感じる器官をもった生物がいるから「レモンは酸っぱい」果物になる。すべては環境と身体の関係からうまれたこと。(…)
篠原先生は言う。
「ためしにやり方を変えたら、子どもがガラリと変わった。楽しそうにからだを使う。その姿を見て、やっているわたしたちも楽しくなる。大人が教えるのではなく、子どもが自ら選択できることが大事だと思う。脳性麻痺の子が傾いて座るのはそうするほかに選択肢がなかったからです。子どもの障がいを深刻にしているのは、選択肢を与えなかったまわりの大人の責任ではないでしょうか」
〈つづく〉
![](https://assets.st-note.com/img/1717224781192-NV9IOl7PpT.jpg)
メモ:
与謝の海特別支援学校については、雑誌「NEUTRAL COLORS 2」に長めのレポートとして寄稿しているので、興味あるかたはぜひ読んでみてください。吉田亮人さんが撮った子どもたち、先生たちの生き生きとした写真もすばらしく、学校について考えるヒントに満ちた記事になっています。