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バーチャルと!非日常が日常⁈

昨日の都心は集中豪雨であちこちが浸水してたようです。さっき、Xには書いたんだけど、その様子の動画を眺めていて、どこか違和感を感じない自分がいました👀

その動画は、某地下鉄駅の改札口に浸水してて水浸しになっているもので、路面から30cmほどの高さにある水面が、ゆらゆら揺らめいているもの。

冷静に考えれば、普通水が来ないところに大量の水が流れ込んでいるのだから、「えらいこっちゃー」なんですが、見た瞬間「あぁ、そうね」って感じ。あと、別の動画でも新宿のマンホールが水に押し出されて飛び出すものもありました。鉄の塊が飛ぶのでかなり大ごとなはず🧐

今の時代って動画撮影が簡単にできるので、こういうショッキングな出来事がすぐに大量の人々に伝えることができる時代。そして、自然災害が毎年のように発生しているし、世界中のそういう衝撃的なものを簡単に目にすることができるので、ちょっと私たちの感覚も麻痺してきているんじゃないかって思ったんですね。

振り返ってみると、こういう衝撃的な事件の最初って、9.11の2機目の飛行機がビルに突っ込む瞬間だったかも。当時はテレビの生中継中で日本でも多くの人がそれを目にしました。その当時はまだ生配信できる状態ではありませんでしたが、その数年後には携帯電話から動画を撮れるようになって、今に至る感じですかね。

一方で、ヴァーチャル世界へ日常的に行き来する私たちは、現実ではそうそう日常的でない(非日常的)な世界を日常的に受け入れるようになったんじゃないかなって、ふと思いました✨

浸水した町

ヴァーチャル世界にあるワールドは、クリエイターの頭の中あの想像の世界。中にはリアルの世界の写し鏡を目指した世界もたくさんあるけれど、そういったところよりは、どことなく不思議な感覚を孕んだ想像の世界に惹かれるところがあると思います。「こうだったらいいな〜」を実現してその世界に入れてしまう。これってよくよく考えたらすごいことですよね。単に、ネットの中の文字や動画のやり取りにハマるのではなく、VRだと全身でその異世界に没入することも可能。

そういう世界を日常的に経験していくと、現実で、普段はありえない光景に出会ったとしても、頭はそういう世界を体験してしまっているんどで、違和感をだんだん感じなくなっていってしまうのではないかな?ってちょっと思いました🌏

いまの、ヴァーチャル世界の段階はまだまだ不完全なので、そこが実は脳みそが現実と仮想の境界線をきちんと認識できているのかもしれないけど、これが完全に没入できる世界ができたら、一度仮想の方に入ったら帰って来れないなんてことも起きえないとは限らないなぁって、ちょっとSF的なことも思ったりしました。

医療分野とかではこういった没入できることが逆に効果的になるのかもしれないけれど・・・
例えば、事故で体が不自由になった人がバーチャルの世界では自由に動けるとしたら素晴らしい。

AIもそうだけど、新しい技術って使い方によって良いものにも悪いものにもなりますよね。

良い方に使って行きたいなー

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