【読書ノート】ののはな通信
結婚してる、もしくはお付き合いしている相手がいるみなさん!本物の愛がそこにはありますか?唐突な質問でしたが、間髪入れずにYesと言える人たちはどのくらいいるのでしょうか?でもね、この本を読んだ後は思うのです。性別も住む国も、おそらく話す言語なんかも、本物の愛に比べれば些細なこと、なんだと。そんな愛について考えてみませんか?
三浦しをん著、角川文庫出版の「ののはな通信」を完読しました。こちらも2021年読書の秋課題図書です。三浦しをんさんの有名な作品はいくつかありますが、私のKindleには「風が強く吹いている」が積読状態で入っています。ホリデー時期にまとまった時間が取れそうなので読むつもりでいましたが、秋の課題図書である「ののはな通信」をまず先に読んでみることにしました。
こちらは、同じく秋の課題図書で先日読書ノートを書いた上野千鶴子さんと鈴木涼美さんとの書簡のやりとりを記した「往復書簡 限界から始まる」同様、往復書簡という形態をとっています。最近この形態が流行ってるのかな?
「往復書簡 限界から始まる」のほうでは、手紙を交換することからざわつく心の動きやふたりの関係性の変化を楽しみましたが、今回の「ののはな通信」は小説ならではの楽しみも加わっていました。往復書簡のほうは1年という短い間でのやり取りでしたが、「ののはな通信」は高校時代から何十年にも渡るタイムスパンで手紙が続けられ、人間として成長する姿も手紙から伝わってきました。往復書簡では手紙がお互いの心を揺さぶる様子が見て取れたのに対して、「ののはな通信」では現実社会で(小説の中ではありますが)人間として何歩も成長して、それが手紙にも滲み出ていた、という感じ。
この小説の主人公は、ミッション系のお嬢様学校に通う、野々原茜(のの)と牧田はな。庶民的な家庭で育つ頭脳明晰なののと、裕福な外交官の家に生まれたバイリンガルで底抜けに明るいはな。友達だった女子ふたりの関係は恋人同士と変化し、手紙の交換を長く続けることになります。
高校時代の手紙の日付は昭和59年ですから、同性同士の恋愛は今ほど一般的ではなかったはずです。そんな中ふたりは身も心も寄せ合い続け、高校生らしく浮かれたり嫉妬したりを繰り返します。ただ卒業学年に差し掛かる前にはなはののに別れを告げて、第1章が終了します。
この高校時代のふたりのやりとりはキャピキャピ(←死語ですか?)で、見てると微笑ましい、というか、自分に重ね合わせると痛々しいというか。そうそう、私もこんな感じだったよね、と苦笑させられつつ、うまく思い出させるレベルのキャピキャピ度合いが絶妙です。こうやって行間から読者を操る作風、好みです。
生徒を誘惑して人生を破滅に導いてしまうような教師も出てきて、ここにも感情を揺さぶられます。なんつーやつだ!でもね、実際周りでその様子を見ている高校生は手厳しいです。
上野さんは結局、恋の敗残者なのよ。厳しい言いかたかもしれないけれど。与田と思いが通じたつもりになっていたんでしょうけど、現実はそうじゃなかった。与田の奥さんと子どもに負けた。そんな男に、自分を大事に思ってくれないような相手に、 惚れこんでしまう時点で、彼女もどこかおかしいんだと思う。
天真爛漫であまり多くを考えていないように見えるはなは喧嘩っ早いことを言うな〜、まだまだ自分が見えてないくせに〜、なんてこの部分を読んだときは思った私。でもね、将来のはなは自分を大事にしてくれる人、相手の価値観を見極め、自分が尊敬できる人物かどうかを判断できる聡明な女性なんですよ。そういう部分をサラッと読んだ限りでは見せないところが、この高校時代の手紙の交換が綴ってある第1章の特徴です。
相手の性格や振る舞いや相性を見きわめず、たまたま身近にいた異性だからとか、だれかとつきあいたかったからとか、外見が好みだったからとか(与田の外見のどこがいいのか、私には謎だけど)、そういうところにばかり目が行ってたってことでしょ?つまり、相手を軽んじてたという意味では、上野さんも与田と似たようなものなのよ。
たまたま身近にいるかっこいめの男性と適当に付き合ってしまうことは罪深い。高校時代にこんなことを考えられる女性がどのくらいいるでしょうか?ののに比べて思慮深さがまだまだ隠れているはなから出た言葉としては驚きです。
第二章で大学生になったふたりの手紙は続きます。はなは外交官である幼馴染の男性と結婚する決意をします。
でも外国で暮らしていると、「日本」について考えるようになる。日本のために父は働いているんだと思うと、なんとなく誇らしかったのも事実。
外交官だった父親について、幼少期は外国で暮らしたはな。日本を出るからこそ日本について考えて、日本の良い面も悪い面も客観的に見るようになって、でも最終的には日本人としての誇りを胸に生きていく。外国暮らしが長い私もこの気持ちはよく分かります。この本ではなは自由奔放に描かれているけれど、日本に住む一般的な日本人の目からそう映る姿をわざと描いたのだと、この章に入ってやっと私は気づきました。私も日本に帰れば、ガンガン好きなことを言って、年齢を顧みずに好きなことをしまくって、無駄に自信があって、というふうに見られるのでしょうが、実際の心の中はもっともっと複雑です。目に見える分かりやすいものから距離を置いて、世界も自分自身をも見つめるようになると、言動が一致しないようにみられることはよくあります。
そんなはなの様子を、「浮かれてんじゃないの?」と訝って、冷めた目で見ているののは、年上の女性の恋人の言葉を手紙で反芻します。
男のひとにとっては、恋人の肉体や性別ってけっこう重要だからだと思う。自分が『男』でいるためにね。でも女は、相手の肉体や性別よりも、性格やムードに惚れるものだから。好ましいなと思ったら、男か女かなんて些細なことになってしまうんでしょう。きっかけさえあれば。
男か女かなんて些細なことってサラッと書いてありますが、私や子供たちの周りを見ていると本当にそうなのかもなっていつも思います。LGBTQが世間一般で浸透してきて、私たちの周りにも普通に目にも耳にもするようになりました。
こちらでは自分の呼び方をHe(彼)、She(彼女)、They(彼ら)と自分で決めることが一般化してきました。Preferred Pronounというのですが、"Pronouns"は英語で「代名詞」。つまり自分に対してどの代名詞を使って欲しいのかを自己紹介の場で宣言できるのです。
たとえば、私の親友の弟さんはひとり親として娘さん(She)を育てていて、彼女この春に高校を卒後して大学進学をするのに家を出ていきました。息子(He)となって・・・。でも本人はTheyと呼ばれたいとのことで、英語が母国語でない私にとってはめっちゃ難しい。「Did she graduate? Oh I mean did he graduate?」と言い直したり、「Yes they left the home」と言われて「え、もうひとり子供いたっけ?」と混乱したり。LGBTQに関してはまだまだ過渡期ではありますが、いろいろな私たちを社会全体で受け入れようという姿勢が顕著になってきたのは喜ばしい限り。
世の中には、異性愛者なのか同性愛者なのかはっきりしろ、と怒るひともいるみたいね。どちらの性ともセックスできるなんて、とんでもない、って。私にはその言いぶん、ちっともピンとこない。セックスの相手を異性か同性かどちらかに固定しろ、と強いるひとは、実は自分のなかに根を下ろした「あるべきセックス」を、他人にも強制してるだけなんじゃないかしら。私は、男とも女ともセックスする。それをおかしいことだとは思わないし、A子さんと会ってるときは、夫のことなんて考えもしなかった。
これもね、ストレートの私からすると、ゲイとレズビアンは理解できても、ノンバイナリーとか、どちらも恋愛関係になれる、というのは、心での理解にまで至っていません。でも「あるべきセックス」に囚われている、というのはこ難しい説明よりも分かりやすいと思いました。性癖を人に強要しちゃいかんですな。
生真面目で物静かなののに比べて、自由奔放さが目立ったはなですが、大人になって紛争の絶えないアフリカの一国に住んだのを機に離婚をして日本を離れ、現地の人々のために生きようと決めます。
ふとした拍子に、自分のなかの欺瞞に気づかされます。 虫酸が走る。だけど私は今日も、「それでいいのか」という内心の声に耳をふさいで、ご飯を食べ、心地のいいベッドで眠るのです。残酷な波はここまでは届かないのだからと言い訳し、暴力や理不尽などこの世のどこにもないかのような「ふり」をして。安穏とした日常を送るのです。
残酷な行為を行うのと、残酷な行為を見過ごすのと、どっちの罪が軽いの?答えは「その質問自体が馬鹿げている」だと思います。他人に降りかかる出来事を自分に置き換えて感じることができることを英語でEmphathyと言います。Empathyが欠けていると、世界で今も起こっている多くの戦争に結びつくのかもしれません。
第3章に入り、はなとののの位置関係が変わったように見えます。第1章の高校時代ははなは好き勝手し放題、感情に任せて行動し、最終的にののとの恋に終止符を打ちます。ののははなに対する熱い愛を表現しつつも、自分を見失わず自分に与えられた課題に取り組み、東大に合格します。第2章に入り、はなは大学時代、彼氏や結婚相手を安直に決めているように見えます。本当はそうでないにしても、そういう振る舞いが目に付くのです。そんなはなのことを心配したり愛したり、時には冷めた目で見たりするのが相変わらずなのの。第3章でははなはこれまで隠れ気味だった、でもきっとほんとはずっと自分の中に持っていた、聡明さを存分に発揮して羽ばたきます。それを地上からただただ見つめ応援するのの。そんなののの目は尊敬の念で溢れていたんじゃないかな。
最後はののからの手紙が続いて終わります。はなからの返信がなかったということは、はなは紛争に巻き込まれたのかしら?それとも病気にかかった?読者はヤキモキしたまま話は終わりますが、ののの心ははなに寄り添ったまま、という大事な部分は確実に伝わって終わります。
私に魂というものがもしあるのならば、それはあなたのものです。渡り鳥が海を越えて必ず生まれ故郷に帰るように、私の鼓動が止まるとき、魂はあなたのもとへ 還るでしょう。あなたが形づくり、息吹を与えてくれたものだから。
高校時代の愛は魂の存在に気付かされるほど本物だったのですね。本物ゆえ、ぶつかることも、のちにダイヤモンドのように光り輝くこともあった。そしてそれは生死を超えて永遠に続きます。いや〜そんな永遠の愛を誓える相手に高校時代に会えるなんてすごい話だなぁ。私は今後会うことはあるんだろうか?それとももう会っていたのに見過ごしたんだろうか?それとも今周りにそんな愛が存在するんだろうか?
高校生の恋愛小説、と片付けてはいけない深い愛を手紙のやりとりという形で語りあげたすばらしい小説。本物の愛について考えたい方におすすめ。そして愛について語り合える仲間がいたら、さらにすばらしい、とお伝えしておきましょうか。