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乳がんサバイバー 第8話 退院 はじめて胸の傷を見る。


驚くことに、乳房全切除から3日目に退院できることになった。自力で歩けて食事ができたら、もう入院の必要はないそうだ。日本では考えられないと思う。ちなみに出産のときも基地の病院で翌日退院させられた。体力のない私はフラフラだった。

退院時に固く巻いた包帯の上からコットンの柔らかいブラをして、手術前に買っておいたかぶるタイプのワンピースをなんとか着た。左腕は全く上がらない。 

最初の日は吐き気がひどく足にまいて自動で膨らむサーキュレーションも辛かったがなによりも2時間おきに起こされるので、家に早く帰りたかった。ただ、帰るのは家ではなくホテルだ。入院直前にワイキキにあるホテルから基地の中の長期ステイの施設へ移ることが出来た。ここはキッチンも付いているので闘病にはこちらのほうがうんと良い。

胸にはがっちり広い包帯が巻いてある。さらしのようだ。 胸の下からチューブが2本出ている。ここの先にプラスチックの容器がついていて、体液が貯まるようになっている。これを毎日記録して中身を捨てる。

夫が食事の用意から薬、息子の世話と全部してくれていた。軍からは特別休暇のような扱いだった。帰った日の夕食にご飯を炊いてくれて味噌汁を作ってくれてことは忘れられない。やはり私のソウルフードだ。あっという間に元気になる。

そして息子に勉強を教えたり、夜はルーンスケープというオンラインゲームを一緒にやっていた。 コンピューターの中のキャラクターだが、親子一緒に冒険をしていた。手術や入院の間に親子の絆が強くなっている感じがした。いろいろな話をしたのだと思う。夫はどう説明したのだろうか?

私はベッドでテレビを見たりして過ごす。うつらうつらしては、はっと目が覚める。夜まとめて眠れなかった。
Oxycodone(オクシコディーン)という強い痛み止めを4,5時間おきに飲んでいた。麻薬として売買させる薬だ。1日5回位だったが朝が一番痛く2錠飲んだ時は全身がしびれてうまく息ができなかったので1錠にしていた。

翌々日、病院ではじめて傷の検査をする。包帯をとって傷痕を見た。


――そこには乳房はなかった。


もちろん切除したのだから、ないに決まっている。胸がなくなるのはわかっていた、わかってはいたけれど、実際に目にするとすごい衝撃だった。あるべきところにあるものが、ない。

傷跡はまっすぐに切れているだけかと思ったら、傷の上と下がすごく腫れている。特に上の部分の皮膚がボコボコだ。真っ赤になっている傷はまだ痛む。下のチューブ用の2つの穴も痛い。

一面に塗られた黄色の消毒剤、赤い傷跡、内出血の青い色。


自分の傷跡を見られない人もいるという。辛いけれど、目をつぶる訳にはいかない。しっかり見つめて、病気と向きあおうと思った。

それにしても、こんなにも凹凸があり縫い目も汚いのは想定外だった。

胸のあった場所の下からぶら下がっている体液排出用のチューブ2本を抜いたのだが、これがものすごい激痛だった。今まで経験したことのない痛みだった。

歯を抜くよりも、出産よりも痛かった。

抜いた瞬間ギャーッと叫んで汗が吹き出す。ぐったりして大泣きした。長い針金を体内から抜き出すような感じか。2本めが本当に辛かった。もう一回あの痛みを経験するのかと思うと倒れそうだった。

なぜこれほど痛かったのか後からわかった。ばい菌感染をしていたのだ。指先でさえ傷口に菌が入ると赤くなりズキズキして痛むのに、かなり大きめの胸の穴2つだ。そこから長いチューブを引き出すのだから、痛いはずであった。 

そして、その夜高熱がでた。 

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