よくあるhow-to本ではなかった。 『読みたいことを、書けばいい』
どうもタムです。
元電通でコピーライターをされていた田中泰延さん初の著書。
僕は、文章を書くためのhow-to本としてこの本を手に取った。しかし、いい意味で裏切られた。そして、how-toを求めていた僕の考えはなんだか陳腐なものなんだなと、この本は気付かせてくれた。
いずれにせよ、最高に面白く、心にグサグサときくる本。涙が出そうになるだなんて、想像もしていなかた。
2つ後悔
この本を読むにあたって後悔したことがある。
1つ目は、読み始める時間が夜遅すぎたことで。休日の昼下がりにこの本を読んでいたが、小学生のいとこが、猫のように僕の邪魔をしてきた。
遊園地のコーヒーカップに乗っているかのように、椅子をぐるぐる回されたかと思うと、次は本を取られ、その流れで隠れんぼになった。
そして、気がつくと僕はバトミントンをしていた。3時間遊んでいた。最高に楽しかった。
結局、読み始めたのは外が暗く、周りが静かになった頃だった。読んでみるかと思い、手に取ったのが最後、気がつけば日をまたいでいた。
この日はどこか、時間感覚がおかしかった。
2つ目は、この本を読まずしてnoteを書いていたことだ。あまりの恥ずかしさから、今まで書いたnoteを全て削除しようと思ったほど、僕は「書くこと」を理解していなかったように思う。
文章を書きたいけど、何をどう書くか悩んでいる。そんな人がいるのなら、ぜひ本書を読んでほしい。
もし、本の内容だけが気になる。そんな方は1500円でこの本を買ったほうがいい。圧倒的に読みやすく、面白いからおすすめする。
でもその前に、この文章を読んでも損はないはずだ。このノートはタダだ。
つまらない人間を抜け出すために
つまらない人間とはどんな人か。
これが分かっていないと、自分がどうかも分からない。しかし、周りの人で(あぁ、あの人かな?)と「つまらない人間」が思い当たるはずだ。少し思いうかべて欲しい。
もし、僕のことがすぐに思い浮かんだ。そんな人がいるとするならば、ここまで読んでくれてありがとうと感謝だけを述べておくこととする。
さて、その共通点とは何か、本書から引用する。
つまらない人間とはなにか。それは自分の内面を語る人である。少しでもおもしろく感じる人というのは、その人の外部にあることを語っているのである。
同じようなことがPRESIDENTにも掲載されていた。一文目からこの調子である。
話がつまらない人の典型は、自分の話ばかりする人。中でも最悪なのが自慢話ですね。大昔の自分がやった仕事とか、今と何の関係もない。
やってしまった。わかるわかると共感できる範囲でなら、自分の内面を語ることも良いだろう。それは他者の心つまり、外部にも存在していることだから。でも、例えば僕のこのツイートのように
意味もよく分からなければ、共感もない、さらには自分仕事してますよアピールとも捉えられることをツイートしようものなら、確実につまらない人間だと思われる。事実、いいねもリツイートも0だ。(誰かいいねしてください)
しかし、これは、Twitter。100歩ゆずってよしとしても、現実で言われたものならば、、、皆まで書く必要はないだろう。
では、何をどのように書けばいいのだろうか。
書くものを理解せよ
読まれているものは何か、本書によると
ネットで読まれている文章の「9割」は随筆。
「随筆」、なにそれ、枕草子?
そう思った。そして、随筆の頭文字は「づ」ではなく「ず」で、1つ勉強になった。筆者はどのようにこの文字を定義しているのか。
「事象と心象が交わるところに生まれる文章」
さらに説明すると、
「事象」見聞きしたことや知ったこと。世界中のあらゆるモノ・コト・ヒト
「心象」事象に触れて書きたくなる気持ちが生まれること
例えば、
事象だけのものは、ニュースや報道があたり
心象のみになると小説やエッセイなどの創作やフィクションものがあたる
この両方が組み合わさったもの、つまり事実に出会い、どのようにして心が動いたのか。それを書く。しかし、起こったことと、感想だけでは、内容が薄く説得力に欠けた、いわゆるどこにでもあるような文章となる。
では、どのように書こうか。
よく調べ、愛を持って書け
事実をよく調べる。何が起こったのか、それはどのように言われているのかなど客観的な事実があれば、話に厚みが増し、面白くなる。
調べた内容や考えた過程を書くことで、心情がより響く文章となる。書き方の流れはこう示されていた。
事象に出会う。感動したり、疑問に思うなどの心象を抱く。そこから仮説を立てる。調べに行く。証拠を並べる。考える。その時点での結論を出す。
例えば、「食べることは生きることである。」
そう言われると「そうだよね」としか思わない。それはこの言葉が、何千何万と使われてきた言葉で。僕が言ったところで、全く言葉の重みを持たないからだ。
たぶんこの言葉は、80歳くらいの方がボソッとつぶやいてこそ、その短略的な言葉の中に深みを感じるのだと思う。
若造が言ったところで、その言葉はそよ風に飛ばされてしまうだろう。
ではどう言うのか、挑戦してみる。
ふと、「食べる」とはどう言うことか気になり辞書を引いた。
(1) 食物をかんで、のみこむ。(2) 暮らしを立てる。生活する。
「食べる」とは、その行動を示すこと、それ以外にも意味があった。確かに、「食べていけるだけの収入はあるか。」そう、じいちゃんに聞かれたこともある。
昔は生活と食べること、もっと言うと、生きていくことと食べること、この距離がとても近かったんだと思う。そうか、食べることは生きることだ。
どうだろう。そよ風では飛ばないくらい、重みがある文章になってる!!そう思ったら、すぐに右下のハートマークを押して欲しい。
しかし、いやいや、まだ飛ばされるくらい軽いんじゃないのか!?そう思っている人は「そよ風」の定義から考え直すべきだと思う。
なぜ書くのか
自分のために、書けばいい。読みたいことを、書けばいい。
これ以上の説明は必要ない。
僕自身も、この文章を誰かに頼まれて書いているわけでもない。ただ、この本を読み、書きたいと心が動いたから書いている。
よく、特定の人を思い浮かべて書きましょう。そう言う人がいるが、特定の誰かのために書くのなら、LINEで送ればいいと著者は述べている。
自分が書いて、自分が読む。そこに楽しさがあるのなら、書くことはやめられないし、やめるべきではない。
最後に
今回のnote、今までのnoteに比べて、読みやすくて、面白いと思ってもらえたのなら、ぜひ本書を手に取って読んでみてほしい。
もし、変わっていないと感じるのならば、税抜き1500円もだして買う必要は無いと思う。
しかし、僕が心を動かされたのは確かな事実であり、この本には、僕の言語力では到底伝えきれないほどの想いが詰まっている。
価値のある文章を、自分のために残していきたい。
おまけ〜漫才を見ているかのようだった〜
タン♪タン♪タン♪とリズムよく話が進んでいき、所々に散りばめられたユーモアが心地よかった。
そこで、どのくらいのボケが入っているのか。分析してみたくなり、一つひとつ、ボケているところにチェックを入れていった。
すると、面白いことがわかった。
コラムを除いて、序章と1章から4章まで、計5つの章には、ちょうど50個の笑いのポイントがあった。
一章に10個の割合だが、その数には偏りがあった。
なんと、その内の35%にあたる、17個のポイントがある章に書かれたいたのだ。どこだろうか、少し、予想して欲しい。
それは、、、
なんと、、、
序章
はじめに書かれてあった。
その反動か。次の章は4つだった。
ここに、最後まで読んでもらうためのポイントや買ってもらうポイントがあると思った。全ては前半の面白さで決まるのだと。
もしかしたら、書店で本を手に取り立ち読みをする平均的なページ数や、本の満足度の8割は前半で決まる、なんてものが、統計的に出ているのかもしれない。
詳しいことは分からない。
しかし、この本の著者は、この形が最も面白いと思って書いたことに違いない。
いずれにせよ、「著者のボケを数える」という行為をしてしまったことを、この場をかりて心からお詫びしたい。