ルーツにこだわるほど差別も生まれる
多様性の関わる問題になると、国内で、
「日本人のルーツ、文化にこだわり、他の民族とは違う、やっぱり日本人最高!!!」
って強調するのは、多分嫌いな人達(自分はそうですけど)が、他文化、あるいは他民族の人が、彼らのルーツに突然こだわり、それが集団の規則から外れてると指摘されたら「差別だっ」ていうのは変です。
だったら、ユニフォームって差別じゃないでしょうか。あらゆる、何かの同一性を求める規則は、全て差別にできる。
自分の場合、むしろ民族的ルーツにあまりこだわりたくないです。ルーツは、自分でどうこうできるもんじゃないから。決まっているものだから。むしろ「ルーツがもたらす差異にこだわらないほうが差別もなくなる」と思う。
もちろん自分のルーツを無理に否定する必要はないし、いいなと思えば自分で取捨選択して、その場その場で、風習や文化を楽しめばいいはず。
この問題を「校則問題」、日本の高校生(未成年)にとって学びの場である学校で、どのような規則をなくし自由を認めるべきかという、「高校生の学校生活における規則」の問題と考え、髪型の校則なんていらないだろう!!
なら、まだわかるんだけど、「人種差別!!」とか言ってる人、私には理解できないです。
たぶん、「民族的ルーツに基づく髪型」ってところに、逆に反応しちゃって、民族的差異をむしろ意識してる気がする。
これがもしも、「お前は俺たちと違うんだから、お前の民族の伝統の髪型で卒業式こいよ? おまえの民族のルーツ大事にしろ、コーンローでもしろよ!!」って、教師や生徒がムリヤリさせたら、それこそ差別だよ。
その時こそ 「差別だ!!!」 って絶叫すべきですよ。
今回のは、卒業式で許容されるであろう髪型の範囲があって(指導もしていたみたいだし)、みんな同じ学園の生徒だからこそ、同じ規則守ろう。守らなかったんだからペナルティがある。それだけの話。
そこに民族的ルーツとか持ち出すのは無理。
むしろ「どんな民族でも生徒を同じように扱ってる」わけよ。この子だけ特別扱いしてない。それともこの生徒は、髪を耳にかからない程度に短く切ると宗教的に問題があるとか、慣習として問題あるとか、その髪型にするのが特別難しい理由があるのか? ないですよね。
自分のルーツに基づき、自己主張するのは当然OKだけど、自分の思い通りが許されない場もあるのは世界的な一般常識だと思う。 それは髪型でも衣装でもそうでしょ。
ぜひ、親御さんには、報道した記者は、「なぜ、学校に相談しなかったのか、なぜ高校の卒業式をルーツを体現する髪型をお披露目する舞台に選んだのか」聞いてほしかった。
「自分の息子は、他の子供達とは、ルーツ、文化が違うのだ!」って強調したかったなら、実はこれこそ私は、表面化されない心理的差別と思ってます。
民族としてのルーツ、民族としての文化に誇りを持つだけでなく、それを集団内で、自分の記号として違いを強調した時に、別の差別の種がまかれてると思う。
(人間のルーツは、ちょっと遡ると原人だし、まぁ、もっとたどると、知能すら無い原生動物ですよ。)
この高校生のお父さんは、むしろ子供に怒るべきだったと思う。
「アホか、卒業してから=式すんでからにしろ!! ここは日本なんだから、卒業式で突然、他の生徒とか先生の注目引いて、ルーツ誇っても仕方ないだろ」と。
もしも、その子に認められるなら、すべての民族の生徒でコーンローOKにしなければおかしい。
もしも「我が民族でしかコーンローは認められない(文化的盗用)、卒業式では他の子はダメでも我が子にだけ認めるべきだ」とかいうなら、それこそ私は差別だと思う。もちろん、そんなことおっしゃってませんけどね。
https://www.youtube.com/watch?v=8o0rIpOllMQ
(これは私の見解です。もちろん、歴史的背景があるという方がおられるのはわかるが。民族間の歴史(特に被害者としての場合が多い)に永久に引きずられるなら、実際のところ差別はなくならないと思う。まだ相手を許せていないのだから、逆差別になりえる。)
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