ネット世界で自制心を失った大人たち

 もちろん、いつの時代も、大人と呼ばれるようになった成人であっても、公共の場で守らねばならない最低限のルールや常識、マナーを守れない、だめな大人は少なからずいただろう。

だが、そんな非常識な輩は、当然他者から煙たがれるし、一般社会における対人関係では、肩身が狭い思いをすることになる。結果的にデキの悪い者同士で徒党を組んで、騒ぐぐらいしかできなくなる。

ところが、他者からの批判や痛みを直接感じれない、つまり一般常識がより通用しづらいネット空間は、自制心を失った大人たちを普通であるかのように量産してしまった。私がいつも一番軽蔑している、個人と公共をいつまでたっても区別できない、だめな大人たちである。

なんでこんな事を書いているのかというと、もうずっと前からだが、私はネット空間で否が応でも目に付く、そして必ず子供(本来守られるべき対象)も見てしまうであろう、あまりに多くの広告の下品さ、低俗さ、くだらなさ、場違いさに心の底から辟易しているのだ。 

小学生あるいは、中学生の、性別関係なく子どもと呼ばれる者たちが目にするであろう、ゲームの攻略サイトの、あまりに多くのクソのようなポップアップ広告はいったいなんなのだろうか?

それらの広告の多くは、個人の性癖、趣味趣向の問題や、嫌なら見なければいいといった言葉で許されるべきではない、本来、未成年が目にすべきでない性暴力描写に溢れている

繰り返すが、私はそれらが存在してること(もちろんゲームなど架空の娯楽作品での表現における性暴力)を否定しているのではない。 それらが、たとえ広告であっても、いかに場違いで、傍迷惑で、対象を一切限定せず、ゲームの攻略サイトに普通に掲載されている異常さを、ビジネスだとか、表現の自由ということで、放置されている現状を、心から嘆いているのである。

こういう当たり前の大人の常識が、通用しなくなった現代社会では、日本の精神文化など、どうして守ることができるだろうか? 

本当に簡単なことなのだ。良識ある大人が、場をわきまえる。他者のことを少しだけ慮る。それだけである。 ビジネスだからと、大人としての責任を果たそうとしない、くさった大人子供たちが、作るものは、すべからく下品で低俗で腐りきっている


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