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わたしたちが書く理由、考えないことの危なさ|さみしい夜にはペンを持て【本を読む#6】

「さみしい夜にはペンを持て」(著:古賀史健)読了しました。10代向けですが、大人が読んでも絶対おもしろいです。書くのが好き、書くことをもはや使命だと感じているnote愛好家のみなさんにとっては重要な一冊になること間違いなしです。ぜひ読んでみてください。

いろんな書評が出ているので本の概要はそちらに任せて、今回はわたしのアンテナにひっかかったところをご紹介します。

考えないのは危険なんだ

「(中略)『考えることは、答えを出そうとすること』だって。答えを出そうとしないまま保留しているのは、なにも考えないのと一緒なんだよ」

さみしい夜にはペンを持て(著:古賀史健) 

「考える」と「思う」の違い。それは「答えを出すかどうかである」と著者は…いや、ヤドカリのおじさんは言います。たとえば会社をやめたい、でもこのまま我慢して残ったほうが安全だし…と答えを出さず可能性を残しているかぎり、わたしたちはものごとを真剣に考えなくなります。保留したままにしてしまう、という感じでしょうか。でもそうやって悶々としていると、だんだん頭の中が濁ってきます。そしてどうにかしてその濁りを取り除きたくなる。そんなときに考える習慣を持っていなかったらどうなるか。だれかが用意してくれた「わかりやすい答え」に安易に飛びつくことになるのです。

「たしかにわかりやすい答えがあれば、納得する。頭の濁りも、解消したつもりになれる。でも、そうやって跳びついた答えがニセモノだったらどうする?」

さみしい夜にはペンを持て(著:古賀史健)

今の世の中は、SNSなどのおかげでたくさんの情報が簡単に手に入ります。検索するとすぐにそれらしい答えがヒットします。一時はモヤモヤが解消されたようになるでしょう。でもその答えの裏に、わたしたちをだまそうとする人がいたら?そのとき自分で考える力を持っていなければ、いとも簡単にだまされてしまいます。

「(中略)でも、自分で考える習慣を持たないまま生きるのは、それくらい危険なんだ」
「自分で考える習慣って……?」
「つまり、書く習慣だ」

さみしい夜にはペンを持て(著:古賀史健)

わたしたちが書く理由

書くことで、ものごとや感情に向き合う。ていねいに自分と対話する。ひとつの考えを深めていく。自分はこう思っていたんだ、こんなふうに感じていたんだと本当の気持ちが見えてきます。いわゆる「自分軸」ができあがる。そうするとだれかの答えに簡単に流されなくなります。書いたからって人生が劇的に変わるわけではないけれど、自分の考えを持って生きていけるようになる。「書く」ことはわたしたちの生き方を変えてしまうくらい大きな力を持っている。この本のおかげで、わたしはもう一段深く書くことにハマれたように思います。

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