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自分で選択できる 感情も幸福も。


・充実人生は他者から与えられるものではない

 僕は、出会う人誰からも好かれたい、いい印象を与えたいという欲求が少なからずあります。いわゆる「八方美人」です。興味ないかもしれませんが、少しだけ僕の話をさせてください。

 これまで僕は、友人からの相談・愚痴、アルバイト先での先輩の意見に対して
相手が望んでいるであろう言葉を思考し、伝えていました。全てがそうではありませんが、そこに自分の意志があったかと問われると、言葉を濁してしまいます。

 また、他者のために自分の時間を犠牲にすることが多々ありました。
僕は友達と過ごす時間は幸せです。いきなり真逆のことを言っているような気もしますが。笑
しかし、他者ファーストで考えてしまうことがあります。「本当は別の用事があるけど、それを後回しにすればいいか。。」
と相手に合わせて自分の感情を殺し、案の定失敗してしまうことがありました。

生産性のない日を過ごしてしまう自分を変えたい。不毛な感情や悩みに左右され、不幸な思いをしたくない。

そんな僕が、自分の意思を自分で選択できるよう示してくれたのがこの本

自分のための人生 著:ウェイン・w・ダイアー  訳 渡部昇一

自分の人生は自分のもの。今、何をするか、何を選ぶかで決まる。
今日1日を徹底的に生きる。

今日はこの本を読んで自分なりに解釈したいと思います。うまく言語化できていない部分が多々ありますがご容赦ください🙇‍♂️


・感情をコントロールする

あらゆる出来事に対して「反応」し続けている僕たち人間。余計なことにも反応し
イライラしたり、悲しい思いをしたりすることがある。ここで重要なのが、
「感情とは物事への1つの反応として自ら選び取るものである。」

感情は自分でコントロールすることができる。
先述の、他人の評価を気にしすぎて不幸になってしまう場合も、不幸になってしまう理由は評価に対する自分の感情が不幸を選んでしまっている。そもそも他人の評価なってものは真の意味では知りようがない。どう思われているかなんて知りもしないことに悩む必要はない。原因の本質を理解する。

だが、感情の起伏をコントロールすることは容易いことではない。これまで生きて生きた中で耐えず、自分の感情を動かし選択してきた。根付いた、不安に思ってしまうような感情は、何度も何度も発想の逆転でプラス思考へ変換する。

・自分の色を失くし、他人の色に支配される

他人の承認や賛同を気にしなければ気が済まないという習慣は取り去らなければならない。これについて議論の余地はない。

しかし、生きていくかぎり同意を得られない場面が必ずやってくる。
その時、他人から同意を得て、好かれようとするために自分の本心を隠してしまう
つまり、自分の色を失ってしまい、他人の意見に支配されている状態。これは避けなければならない。

この状態が習慣化してしまうと、自分の意見や主張を言えなくなり自己評価よりも自分に対する他人の意見の方が重要であるとみなすことになる。

他人の賛同なしには生きづらい世の中になっている。
「独りよがりになってはいけない。まず誰か他の人の意見を聞いてみなさい」
他人の意見の方が自分の意見よりも大切だとするなら、人に認められなかったり賛同が得られない場合には、意気消沈し、自分には「価値がないと感じたり、気が引けたりするのも当たり前である。
逆に、賛同を示すことによって、他人をおだて、うまく操ることができる。
お世辞が必要になればなるほど、お世辞に目が眩んで、他人にうまく操られる人間になってしまう。

[自分のための人生]
 著 ウェイン・w・ダイアー

意見を反対されることは、何も怖いことじゃない。出会う人全てから賛同を得ようとするなんてことは、不可能であると理解する。他人考え方はそれぞれ違うし、
自分の意思で何とかなるのは、他人の評価に対する自分の態度だけ

このことを真に理解しているだけで心の武器になりうる。

いったい、誰のための人生か。
自分は価値ある人間だと信じる。
僕は僕であり他の誰でもない。

本書では、実際に人に反対にあった時の対処法や、何かポジティブな考えに目を向ける手段をいくつか挙げているので、気になる方は是非読んでみてください。


・できない理由を探すな!

自分自身は一体、どのような人間なのだろうか。この問いに答えるには自分の経歴、過去の体験を振り返らなければならない。

私は人見知りだ。私は計算が得意だ。私は今までこうしてきた。
といったように、無意識に自分自身にレッテルを貼っている。

自分を語る言葉そのもがいけないわけではないが、使い方を間違えればそれは有害なものになってしまう。

・レッテルは自己成長を阻む鎖

次に挙げる4つの言葉はどれも不安に縛られた言葉であり、いずれも成長を自ら止めてしまう。

①私はそういう人間である。
②私は今までいつもそうだった。
③それはどうしようもない
④それは私の性分である。

これらの言葉は、これまでの過去の経験に縛られている。変わることを恐れてしまい成長のチャンスかもしれない場面を自ら放棄している。

「どうしてこうしなんですか?こうすれば良くないですか?」のような問いに対し
「私はこういう人間なんです、今までこうしてきました。これからもそうです。」
ずっと変わらないことを正当化する手段として、レッテルを貼り変化しないための言い訳をしている。

僕も、この自分自身へのレッテルを無意識に使っていました。「僕は〇〇が苦手だから、〇〇はできない」と言葉にし、現状から逃げていました。

・人間性なんて存在しない!今、この瞬間に変われる!


自分自身・他人から貼られたレッテルは全て過去の経験から生まれたものであり、
今後、私たちが歩んでいく未来を縛り付けていいはずがない。

幼少期に他人から植え付けられたレッテルはなかなか、拭いづらいかもしれないが、それらも全て他人の尺度で測っただけのものにすぎない。自分自身がそれを受け入れるかは全くの別問題。

できないではない。やらない理由を述べているだけ

数学が得意でないのなら、「苦手だ」の一言で片付けず、何がわからないのか理解しようとし、「数学ができない」レッテルを取り払うため、「今まで苦手意識から避けていたから、取り組んでみるとできるかもしれない。」と言葉にする。
言葉にすることで、脳の潜在意識はその言葉を実際に現実化しようと働く。

僕はレッテルを貼るなら、自分を成長させるプラスなことばかりにしたい。
去勢でも思い込みでも、誰もそれを咎めないし、否定させない。

自分のための人生なのだから、他人の目や評価ばかりに支配されない。
自分自身で感情を、人生を選択し、自己実現への一歩を踏み出す。


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