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2022.07.24

もう、「あーまた書けなかった・・」という始まり方はやめよって思った。だって、書けないことの方が多いのも事実だし。面倒とかではない、だってお気に入りのノートには書き留めるのだもの。
何よりも、「私の独り言なんて、 いったい誰が読むのよね・・笑」って思ってしまって。と、書いている時点で、ああ、誰かに読んで欲しいのよね・・・多くはなくても、きっと私みたいに、考えを巡らせる人がいたり、同じように書き留めておけば、気が楽になるかしら、って思う人との共感が生まれたりするかしら・・とも思う。
InstagramにこのURLを貼り付けているのだし、まぁ読んでくださる方もいることは、いる。(ありがたいです、ほんと)
でも、読んでほしいからとかそういう目的だと、なんだか私じゃない私が書く、ような気がしてはなんだか嘘ではないけれど、取り繕う何か、になるように感じるから。だから、ここに書き留めることが、違和感になったのかもしれないな・・
ここまで書いていても、十分取り止めのない独り言だわ。笑

前記事にまでも書いていますが、私は月に2回、山梨県の小さな村 道志村にあるキャンプ場の中に小さなcaféを立ち上げ、営業しに行き来しているのだけど、これは活動なのか、なんなのか・・活動といえば活動。ただ、なんとなく導かれて行くことを決めたというか。キャンプもしない、虫が嫌い・・そんな私が隔週で行き来して珈琲を淹れている。好きなことは、たとえどんな環境でも、その中をくぐり抜けてでもやるんだな。虫が得意になることもないし、平気にもならない。ほんと、どうしたらうまく乗り切れるのか、どうにかできるのか、誰かに教えて欲しいけど。
苦手なりにも、動いている虫さんをみて、ヒィ!となりながらも、あなたたちも動いているし、生きているのよね、と感じるもの。この虫や、自然の生態系のことはよくわからないけれど、でも間違いなく人間の世界よりはきっとシンプルなのだろうなぁ・・となんとなく感じる。それが良いとか悪いとかではなくて。
虫にもなれないし(なりたくないし)、私が誰かになることもできないし、誰かが私になることもない、ということが最近の気付き。当たり前のこと、かもしれないことが日常生きていても、視えなくなってしまうもの。
最近、時間があると本を読む。ピンとくるものから、おすすめを受けたものまで読んでみていて、吉本ばななさんの「違うこと」をしないこと。
もう読んでいて、共感の嵐すぎてすごすぎた。表紙の可愛い豆大福もとても良いのだけど、自分の中に湧く「違和感」を逃さない、なかったことにしない。
きっと、生き直すための大きなヒントになるかもしれないな。

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