「言葉」は想いの先にある
私はこの一年、「言語化」についてかなり時間をかけて向き合ってきたように思います。
自分の想いを言語化する。
簡単なようでなかなかできない。
私は、感覚的に腑に落ちないものを言葉にするのが苦手です。
だから、小学校とか中学校でよくある「スピーチ原稿を丸暗記して発表する」のが嫌いでした。
一字一句覚えることは、自分の中で日々変わる感覚を固定化して刷り込むことに等しかったから。
今日この文章を書けているのも、私が腑に落ちたからです。
でも、明日にはまたきっと感覚が変わってしまうから、何を書いていたかを忘れてしまいます。
書いている途中に、気持ちが変わっちゃうことだってあります。
そのくらい、私の言語化は「鮮度が命」です。
消費期限が30分の水信玄餅のようなものです。
だからこそ、その時の鮮度をそのままに、真空パックとして、記事にしたためることを大事にしてきたのだとも思います。
そんな言語化について一つ思ったことがあったので、今日はそれを言葉にしたいと思います。
変に言語化すると、狂う。
言語化に力を入れた一年、と言いましたが、逆にいうと、言語化をしすぎて狂った時があります。
ノートに向き合っても、言葉が上滑りしていくような感じ。
私の心の底まで掘り下げきれない感じが物凄く気持ち悪かった。
クライアントさんのセッションでもそう。
言語が先にきちゃうと、クライアントさんの発言をたくさんメモしたくなっちゃう。
そして、そのメモしたことから、フィードバックする。
もちろんそれでも充実したセッションにはなるけれど、心からの対話には繋がりにくい。
私のセッション技術が向上するにつれ、メモの量は格段に減っていきました。
それは、相手の感覚と対話しているから。
感覚のほうが言語より情報量が多いのです。
そして、話していることそのものではなく、その人の存在そのものとしっかり向き合えている感覚がある。
この時が一番いい対話になっています。
感覚での対話は言語での対話より1次元下がったもの、と個人的には思っています。
想いが先にあるから、言語化ができる
だから、無闇やたらに言語化しようとすると、「いい言葉」ばかりが頭に浮かんできてしまいます。
そしてそれをメモした瞬間。自分で「薄っぺらい、、、」と思ってしまう。
言語化ってそういうことではないと思います。
自分の中に作られた想いがこみ上げる。。。
このこみ上げてきた想いはどうやって言葉に表現できるのか。
想いがこみ上げていないのに、ブログを書こうとすると、上手くいかないのは、文字通り「表現したいことが見つかってないから」なのだと思います。
もしビジネスで定期的に発信しようと決めている人であれば、一度はこの問題にぶち当たる。
そこで、訓練してなんとかしようとする人もいるし、私みたいにストップしちゃう人もいると思います。
前者はきっと鍛錬して言語化の習慣をつけていける人ですし、後者の人は、核心的な想いに触れたときに化ける人だと思っています。
もし少しだけ言語化のコツがあるとしたら、、、
私が最後に一つだけ触れておきたいことがあります。
言語化の前に「想い」があってそれが言語より解像度が高いから、言語が出てくるんだよ、というお話をしました。
だから、言語化したければ、自分の想いを引き出せばいいのです。
そして、想いを引き出すためにできることがあります。
それは、「人と話をすること」です。
人と話をすると言っても、じっくり聞いてくれる人、批判せずどんな考え方も肯定的に受け取ってくれる人がいいです。
つまり、自分をまるっと受け止めてくれる人。私の場合だと旦那とコーチがそんな存在。
私がどんなにぶっ飛んだことを言っても最終的には「なるほどね!いいね!」と言ってくれる人。
そうした人に話をすると、自分の想いが自ずと出てくる。
そして、相手のそれに対する反応も含め、より解像度が上がってクリアになっていくはずです。
その解像度が上がった想いはきっと言葉にしやすいはず。そして一度「対話」という形で言葉にしているので、なぞりやすく、言葉としてアウトプットもしやすい。
コーチがコーチをつけるのは、そうして自分を受け入れられる体制を整えることも、発信力を鍛えることも含めてかなり意義のあることだと思います。
さらに、そうした「対話の場」に触れたことのない人も。
触れていないからこそ、新しい感覚が開き、自分の生き方にもつながっていくはずです。
想いが言葉になれば、もうそれは現実にする準備ができているから。
あなたが腑に落ちているものだから。
自分一人で限界を感じることを一度でもいいから対話してみてほしいです。
きっと、新しい思考があなたの中にインストールされるはずです。