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「年齢」と「生き方」の社会通念はトレンドだということ

「30までにと、うるさくて」というabema配信のドラマが、好評を受けて期間限定で無料配信をしていたので観た。元々私はドラマがそう好きではなく、とりわけ恋愛ドラマを見ることは殆どないまま生きてきた。だからこのドラマの出来がどうなのかについては意見できない。ただ、全編見て、2つ大きく感じたことがあったので、備忘録としてまとめておく。

  • 年齢の社会通念はトレンドである

このドラマを簡単にいうと、女性にとっての「29歳問題」なるものを扱っている。4人の仲良し女性グループが出てきて、各々が29歳という年齢の中で悩みながら、葛藤しながらこの「29歳問題」と対峙し、人生の選択をしていくというストーリーだ。
「29歳問題」。正直初めて聞いたが、言わんとしていることはなんとなくわかった。結婚するのかしないのか、家庭と仕事との両立はできるのか、出産はしたいのか、恋愛やセックスはどうしたいか、望むキャリアを歩めるのか、好きなことを仕事にできるのか、周りの意見や世間体、社会的立場とはどう折り合いをつけていくか、etc…こういう分岐点に、29歳は差し掛かっている(厳密には差し掛かっているように本人は感じる)という状況のことだろう。
登場人物の4人ともタイプ違いの女性で、性愛に奔放なキャリアウーマン、結婚願望の強い婚活OL、レズビアンのフリーランス、恋愛に興味ないが子供が欲しい女社長、みたいなバリエーションで、時に支え合いながら、各々の「29歳問題」なるものと対峙していくことになる。

私も20代後半に差し掛かり、久しぶりに友人と会えば、「もうアラサーだねぇ」なんて自嘲気味た文句が出るのがお決まりのようになっている。もはや「今日はいい天気だねぇ」のノリだ。だがその言葉には、老いることに対する哀惜みたいな?ものすら感じられる。不思議なものだ。それほど年齢が重要な価値基準になっているということだろうか。若さを失っていく時間に見合うだけの成長や獲得ができていないという焦りがあるのだろうか。

ドラマの後半で、主人公が出会う年下男子の言葉に、こんなものがあった。

「知ってます?ほんの100年くらい前まで、誕生日ってなかったんです。それまで、人類に年齢という概念はなかったんです。だから、そんなものに縛られるのバカらしいと思いませんか?」

このドラマにおける一つのテーマでもあるだろうと感じた。

実際のところ、誕生日というのがなかったのは、日本では「数え年」が浸透していたからで、「年齢という概念がない」というのは言い過ぎだ。でも「年齢のもつ概念はトレンドである」ということかも知れない、と私は解釈した。

20代に知っておけばよかったこと、だとか、30代にしておくべきこと、とか、そんなニュアンスの書籍やら言説は、巷に吐いて捨てるほど溢れている。これは、お金の勉強だとか日焼け対策だとか、そういう具体的な「チップス」みたいなものもあれば、「本気の恋愛」「自分探し」「挫折」みたいな個人の価値観によるものも多い。女性においてはそこに、結婚適齢期みたいな世間一般での風潮があるし、子供を産みやすい年齢も存在する。「どうすべきか」「どうしていきたいか」の間で焦るのは体感としてある。

ところで、現在2022年3月時点では、日本では成人年齢は20歳である。明治9年からそうだった。だがそれも1ヶ月後の4月1日からは18歳に引き下げられる。ほかにも、ドーピング問題を受けて、オリンピックに参加できる最低年齢を15歳以降という区切りを設けようという議論がある。

これは法整備というわかりやすい部分ではあるが、昔は女性の結婚年齢をクリスマスケーキに例えて、24歳、25歳がピークで、それ以降は売れ残っていく、などというような、今となっては信じられない考え方も広く言われていた。つまり、年齢による区切りかたや「この年齢にこれをするべき」みたいな社会通念は、全てが社会のトレンドに過ぎないということだ。移りゆくもので、その中にあってさえ、大した意味のない区切りなのである。

私たちの中にある「29歳問題」なるものも(仮にそういうものが多くの人間の中にあるのならば、だが…まあ実際あるからこのドラマに反響があるのだろう)、現代社会のトレンドに過ぎないのだ。

今、自分の年齢について何を思うだろうか。まだまだ若い方だ。もう歳だ。歳のわりには元気だ。もう落ち着かなきゃいけない頃だ。そろそろこのスカートは履けないかもしれない。歳のわりに何もない自分に焦る…人それぞれ思うことはある。でもそれ自体が、自分の中の、あるいは社会的に醸成された「年齢観」である。平均寿命だって指標に過ぎず、自分が平均寿命まで生きられる保証も根拠も実はないのと同じように、一つの「年齢観」という考え方として見ることができる。平安時代の平均寿命は30歳だったが、今は80歳に延びた、ただそれだけだ。保証も根拠も何もないトレンドと私たちは闘い、悩み、焦り、安心している。

現代に生きている限りトレンドは気になるし、それを取り入れることが幸せならばそうすればいいだけだが、「選択の際に執着する類のものではない」ということは心に留めておきたい。無数の可能性から現代のスタンダードとされる年齢型に収まりにいくための行動は、幸せの保証を意味しない。何かをしたいなら何歳だって関係ないだろう。生きてりゃ可能性はあるだろう。疑問を抱かぬままとんで火に入る夏の虫になることを厭わない思考を、無意識のうちに形成しないように。あんまり気にせず、生きたい。まずは、天気の話をするかのように「もうアラサーだね」の決まり文句を口にするのをやめよう。

  • 生き方の社会通念はトレンドである

前述したように、このドラマは、4人の女性がそれぞれ別の選択をしていく。結婚をやめる人、結婚する人、同性と同棲する人、シングルマザーになる人。このドラマを見れば、女性の生き方の多様化を意識したキャラ設定と選択だなあということは皆が感じるところだと思う。だが、私はなんだか違和感があった。「ああこのケースね」と思って見てしまっている自分がいたのだ。多様な悩める女性像が描かれているはずなのに、その像すら、テンプレートに見えてしまった。終始そうだった。これはどうしたものか。

結婚したいとか、したくないとか、じゃあ幸せってなにとか、愛とセックスってなにとか、家庭と仕事の両立とか、ジェンダー不平等とか、キャリアプランとか、そういうものにおける議論のすべてが、二番煎じになってきているのを感じる。29歳問題に直面する彼女たちは、29歳問題の範疇で彼女たちの幸せを模索している。これはドラマに対する批判ではなくて、ダイバーシティ推進というものの持つ逆ダイバーシティ的な性質、というパラドクスへの違和感に近い。ここでいう逆ダイバーシティとは、ダイバーシティ内におけるパターンの固定化というか、テンプレートの出現みたいなものを意味している。(これは私が個人的に感じるものなので、逆ダイバーシティなんてものは定義としては存在しないし、反論もあって然るべきだと思う。)

少なくとも私はそう感じると共に、生き方というのもまた現代のトレンドであるのだろう、と思った。生き方なんてものは本来、各々の人間が生きていればその人間の数だけあるようなものだから、トレンドも何もないはずだが…かっこいい生き方、正しい生き方、理想的な生き方、新しい生き方、というものが、社会的に一つのイメージとしてあったり、その際に一つ目の項目で触れたような年齢的な基準で生き方のプランニングがされるのであれば、それはまた一つの思想の範疇を抜けないのだ。

私はこのドラマを見て、じゃあ自分はどう生きたいだろう、何歳にはどうなっていたいだろう、ということを、29歳問題さながらに、真面目に考えたかった。結婚したいだろうか、するならいつ頃までにしたいだろうか、相手は異性がいいだろうか、子供は欲しいだろうか、転職してキャリアアップするならどこがいいだろうか、どこに住みたいだろうか、みたいなことを考えたかった。私は周囲の友人たちと比べて、結婚願望やキャリアプランも曖昧だと、常日頃から自覚していたからだ。でも結論から言えば、やはりどうでもいい。どうでもいいというのは、興味がないというわけではなく…その全ては特別な問題ではないと感じ、したいタイミングがこればさっと結婚するだろうし、子供が欲しくなって運よく恵まれれば出産するだろうし、ここがいいという場所と出会ったらそこに住むだろう、と思う。できることが増えていってこれしたいと思うタイミングがあれば転職するだろう、フリーランスになるかも、はたまた自営業かもしれない。今のところ働くのは好きなので何かはしたいけど、もっとやりたいものに出会ってしまってFIREなどを目指し出すかもしれない。

「30までにと、うるさくて」。

うるさいのは誰だろうか。家族や友人や、周囲の誰かだろうか。自分の理想だろうか。特別な事情や、生物学的な制約だろうか。具体的な誰かではなく、SNSなどにいる大衆の声だろうか。それとも、社会的な「観念」みたいなものだろうか。不安と焦燥に突き動かす、その無形の何かから、もっと自由になれたらいいね。この瞬間の自分の感情と思考に、耳を傾け続けて生きよう。その可能性のすべてを肯定していけたら、私はきっと幸せだ。

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