
【展覧会レポ】傷ついた心象、n回目の精神分析…ルイーズ・ブルジョワ展。
仕事が早く終わり、ふらりと訪れた、平日昼間の森美術館。ルイーズ・ブルジョワ展、というものがやっていた。恥ずかしながら、事前知識も何もなし。どうやら、森美術館の外にある、あの巨大な蜘蛛のオブジェの作者らしい。それくらいの知識のみ。だが、少しぼうっと何かを吸収したい気になって、入場した。平日昼間の六本木は意外と人もまばらで、それも私の行動力を後押しした。もしごみごみとしていたら、私は即、タクシーを拾って帰宅していただろう。とにかく、何も考えず入場したのだった。その展覧で、号泣することになるとは思っていなかった。

子ども時代というのは、一般に、何も考えなくてよく、我儘が許され、好き勝手できる、最高に恵まれた期間である__ように、大人になった今は感じる。もちろん人によるだろうが、私の場合は、「いいなあ、子どもは」ともっぱら思う。まさにモラトリアム特有の、ユートピアのような世界を生きているように思える。
しかし、それは大人になってから、子ども時代を再解釈した時の幻想に過ぎない。
子どもの時に、私はたくさんのトラウマの種を抱えるに至った。一つ一つを思い出すことはできないのか、あるいは思い出したくないのかはわからないが…
例えば、フロイトによれば、性愛経験のパターンは家族により形成される。すなわち、どのような人物に性的に惹かれるかは、私たちの過去により説明でき、愛の優先順位は、幼少期の親子関係により形成される、とされている。幼少期の(親子体験における)喪失、愛により傷ついた体験といったものを克服するために、私たちは大人になってからも無意識下で呼び起こしてしまうとされている__これを「反復脅迫(repetition compulsion)」と呼ぶ。
例えば、幼い頃に親からの愛情に飢えた子どもは、大人になって愛を切望しながらも、自身を冷たく扱う人に惹かれたりする__というような例がある。

「わたしの彫刻はわたしの身体であり、わたしの身体はわたしの彫刻なのです」
空間に配置されている、人体の断片たち。耳のようなもの、性器のようなもの、頭部…
ブルジョワの不安定な精神状態や、精神の崩壊の象徴や兆候が表わされているそうだ。
この展示空間では、プロジェクターで人体のパーツの名前が次々と投影されていく。
自身を構成するそれらがただのパーツであるかのように感じられ、己の人体に対する認識が揺らぐ。

さらに進むと、こちらを威嚇するようにかまえているようにも見える、蜘蛛のオブジェが現れた。
これは、家庭を守り、そのためならば獰猛にもなる、ブルジョワ自身の母親の姿を投影している。
ブルジョワは、蜘蛛を母性の象徴として制作し、そこに自身の母への深い思いを投影し続けた。
幼い頃、彼女の家ではタペストリー工房が営まれており、父が経営を、母がタペストリーの修復作業を担当していた。糸を使って繊細に布を繕う母の姿は、巣を張り子どもを守るクモの姿と重なり、ブルジョワにとって特別な意味を持つ存在となったそうだ。
六本木ヒルズのシンボルとして、今やすっかり定着した“巨大なクモ”のオブジェは、文字通り「ママン」と名付けられているんだとか。

複雑なスパイラルの中で吊るされて一体化している、カップルのモニュメント。
螺旋構造は、ブルジョワにとって、均衡、バランスの象徴だったそうだ。
そもそも螺旋は規則的な反復構造を持つ。一定のルールに従って回転しながら広がるため、幾何学的には秩序と調和がある形状と言える。この観点からは、内と外、上と下といった対立的な要素が、螺旋運動によってバランスよく統合されていると解釈することができる。特に、自然界に見られる螺旋(貝殻、銀河、DNAなど)は、安定的かつ持続的な成長や運動の象徴ともいえる。
ここに、ブルジョワの掲げる「二面性」と「調和」の関係を感じ取ることができる。
母性の優しさと攻撃性は「蜘蛛」がメタファーとして使用されたが、カップルにおいては「螺旋」であるというところが、とても面白い。
カップルにおける二項対立とは何だろうか。愛と憎悪だろうか。あるいは、距離と親密さ。期待と諦観。(恋の)熱狂と(家庭の)安定、というのもあるかも。婚活においては、理想と現実…なんてのもある。絶賛婚活中の私は日々、個体として理想の中で揺らぎ、相手との関係(現実)の中でも揺らぎを加速させていると言える。
このような、パートナーシップにおけるベクトルの違う二項対立も、スパイラルを描くように、均衡を保って、関係性を持続させていく…そのように見ると、とても示唆的だ。

あらゆるものには二面性がある…ということについて、母性の二面性を、蜘蛛よりもさらにわかりやすく表現されているのが、この作品だ。片側から見ると女体。だがその背後には、鋭利なナイフが潜んでいる。
ブルジョワは母親と仲がよかったが、母親は病弱であり、ブルジョワは幼いころから介護に従事していた。母親がスペイン風邪にかかって以来、家族は冬季に南フランスで過ごすようになり、ブルジョワはそこでピエール・ボナールと出会い、影響を受ける。しかし、1932年に母親が亡くなると、ブルジョワは「見捨てられた」という感覚を抱き、その喪失感がトラウマとして残ることとなる。母親の死は彼女の芸術活動における重要なテーマとなっている。
母の二面性に関して、私は直近、事件があった。
30歳を目前に控えるなか、依然として結婚の予定がない私に対し、母が「仕事仕事って、そんなことより、あんた、結婚を考えないと」。その一言から始まる、怒涛の結婚への催促は、母が初めて私に面と向かって行った「価値観の押し付け」であった。
母は教育熱心で、昔こそ、厳しく私の遊びや行動を制限した。カラオケやプリクラ、友達とディズニーなども、大学に入るまでは一切禁止だった。当時はとても反発心を抱いたが、それ以上に、私は優秀な成績を収めることで、彼女の期待に応え、認められた上で自立しようと画策するようになった。
その目論見はうまくいった。年を経るごとに彼女は私を信頼し、私の意思決定に過干渉になることは減っていった。
私が母の期待を裏切って音楽の道を諦めて名門大学に入学した時も、母と同じ公務員にはならず自分で決めた会社に就職した時も、そこで挫折して勝手に転職した時も、母は私に何も言わず、むしろ応援してくれた。そのことが嬉しく、感謝してもしきれず、母は結婚についても私の選択を尊重してくれると思っていた。
その母から、長々と結婚を急かされ、頑張っている仕事を「そんなこと」と片付けられた。そんな些細なことで?と我ながら思うが、私はなぜか子どものように、母の前で号泣してしまったのだ。母は、滅多に泣くことなどない私がボロボロ泣くのを見て、心底驚いたようで、平謝りしてきた。そうさせたことも悲しく泣き続ける私に、母も泣いた。
そんなカオスな一件があった矢先、ひとりでこのブルジョワ展を見たので、私は、母の二面性と、それに対する私の愛と依存、といった部分を極めて自分ごととして捉えてしまった。
母の私に対する二面性は、愛と過干渉、と言えるだろう。そしてそれは、この世界に極めてありふれた母性の二面性である。私は、大人になった今、たまたまそれを再発見したが、思えば幼少期からそれに怯え、うまく対処しようと考え続けてきた。でも最近では彼女に対して過度に期待してしまっていた。『彼女は私のことを理解して、尊重してくれるに違いない』という期待。そうではなかったと再確認した時に、裏切られたと感じるのは傲慢とも言える。私は、母性の二面性をそのままに受容し、それに囚われてきた自分として、関係性のバランスをとっていく必要があるのだ。

六本木の街を前に、海老反りになった男性の像が吊るされている。
当時、ヒステリーは女性の病だと思われていたそうだが、男性でもヒステリーになりうるということを表現した作品とのこと。
そもそも、古代ギリシャの医学では、「ヒステリー」という言葉自体が「子宮(hystera)」に由来し、子宮が体内を動くことによって引き起こされる症状と考えられていた。この誤解が近代まで引き継がれ、19世紀にはフロイトの精神分析などによって「抑圧された女性性」の象徴とも解釈されてきた。
ブルジョワが男性のヒステリーを題材にした作品を通じて示したのは、「感情の不安定さ」や「神経症的な状態」を、性別によってステレオタイプ化することの不合理さと言える。この視点は、医学や精神病理学がジェンダーバイアスによって影響を受けていたことを批判的に捉え直していると共に、そういったジェンダーバイアスの解体によってジェンダーを捉え直すという、フェミニズムの潮流からも評価される作品となっているそうだ。
それにしても、この静かでミニマムな展覧スペースで、美しい六本木の明るい街を前に、芸術的な体勢でヒステリーを起こしている男性という構図は、かなり要素のミスマッチが起きている___この違和感こそ、ステレオタイプの解体の副産物なのかもしれないが。

よく見ると、真ん中に位置する椅子は、三つの鏡に囲われている。完全に逃げ場のない、自分と向き合わざるを得ない・あるいは見たくないものも直視させてくるような密室の構造である。
このように、「セル」(小部屋)シリーズでは、さまざまな小部屋の構造の中に、監視や抑圧といった要素が敷き込まれている。特に、自身の母との愛と執着、父への憎しみと依存を抱えるブルジョワにとって、家族という組織、家という空間の構造自体の中に、逃げられぬ感情の暴走を抱えていたのかもしれない。
作品創造の源となった家族関係___幼少期からの経験の中に、大きなトラウマと価値観の発露があり、精神的な病につながっていったことが、展示を通じて紐解かれる。
赤々としたライトアップは、エネルギーが強すぎて、悍ましさを感じさせる。
冒頭に触れた、フロイトの「反復脅迫」の話に戻ろう。
超・主観的な文脈では、わかりやすく言えば「異性へのトラウマ」や「恋愛のスタンス」といった部分では、親子関係に代表される個人史の影響がとても大きく、さらに言えば、家庭環境というのは、それを模るといっていいほどに大きな要素である。自分の恋愛の仕方の特徴や、異性に対する説明不可能な感情・偏見・思想的スタンスがあるとき、それは、自分の過去を顧みることで、どこかにその種を見出すことができるかもしれないということだ。
そして、ブルジョワの作品は、まさにその典型的なケースと感じられる。

この作品は、スペースの壁一面に奥まった形で配置され、一見暖炉のように見える。
しかしその実、横柄で支配的な父親の像を食すことで復讐を果たすという、カニバリズムの幻想を表現している。相当えぐみのある作品だ。思わず足が竦む、憎悪の具現化。
冒頭に見たさまざまな人体のパーツに通づる、リアリティあふれる父親の「構成部品」たちが、食卓に配置されている…。
ブルジョワの父親は支配的かつ暴君的な性格で、家族に多くの苦痛を与えた人物として知られる。父親は伝統的な家族観を持ちながらも、不倫を公然と続け、ブルジョワの母親や子どもたちを傷つけたそうだ。また、ブルジョワ自身に対しては女性であることを軽視し、「役に立たない」といった言葉で繰り返し侮辱した。このような父親の振る舞いは、ブルジョワに「裏切り」や「拒絶」の感覚を植え付け、生涯にわたる心理的な傷となったという。
ブルジョワが母親の死後に自殺を図った際、彼女を救ったのは父親だったが、それでも二人の関係は決して修復されることはなかった。1948年、父がニューヨークを訪問し、ブルジョワとカナダまで長旅をしたというエピソードはあるが、父親が亡くなった1951年、ブルジョワは重いうつ状態に陥り、治療を受け始めた。この父親との複雑な関係もまた、ブルジョワの作品に反映されている。
ブルジョワにとって、彫刻を創作することは、一種のエクソシズム(悪魔払い)だったそうだ。つまり、ネガティブな感情を吐き出し、カタルシスを行うというニュアンスだろう。
彼女のアグレッシブな作品たちは、彼女自身の精神分析の発露であり、制作過程で、自身の父親に対するトラウマを理解していったということだ。

「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」
展示の副題にもなっている、この文章。地獄のような苦しみを生き抜くブルジョワが、ユーモアを交えて表現している。現実の方がよっぽど地獄、ってことが言いたいのだろうか。私は地獄という概念を信じておらず、あまりイメージしたことがないが、例えば悪夢を見るような感覚だろうか。
私は、大学時代にフロイト精神分析の講義をとっていた。そこでは自身の幼少期に見た印象深い夢を分析するという最終課題が出た。私には、幼少期に何度も見た悪夢がある。それは奇しくも、昔、小部屋に閉じ込められ、自身が一歩でも動こうとすると、家の構造上母が死ぬ、という夢だった。私は怯えながらも、一歩も動かないように震える足でじっと立ち竦んでいた。ただそれだけの夢だ。しかしこの夢は当時の私にとって最大級の悪夢であり、泣いて目覚めたことは数知れない。この夢を見ないように、寝る前に独自のおまじないを編み出したりもしていたことを覚えている。
私は講義のレポートで、それぞれの物質が何のメタファーであるかや、自分の深層心理にどう影響しているかを論じて、最優秀の評価を得た。当時の私からしたらなぜそんな夢を見るのか到底不可解であり、私はこの地獄のような悪夢を、大人になってから一度も見たことはない。たとえば本当にフロイトの夢診断のいうように、現実における深層心理が夢として表出したと言うならば、確かにもう5歳の頃には、私のトラウマはしっかり存在していたということになる。それも、確かに地獄と感じられる再現度で。

終盤で、またしても蜘蛛の巨大なオブジェが現れた。しかしこの蜘蛛は、明確にある部屋を守っている。そこには、彼女の思い入れのあるタペストリーや香水の瓶、そして「セル」シリーズを想起させる椅子の構造…。彼女のユートピアとも見えるような小さな密室を、蜘蛛はしっかりと守り抜こうとしている。
親にとって、娘はいつまでも子どもなのかもしれない、と最近思うようになった。私が30になろうと、50になろうと、彼女の干渉は、あくまで心配の裏返しとして存在するのかもしれない。
私は守られているからこそ、それが疎ましく、それに傷つけられてきた。私だけの、大切にしたいものたちで溢れた部屋、それは例えば、物だけでなく経験から得た言葉や記憶や、理想や心象風景だったりもするが、そのユートピアを私は私自身で立派に守れるようになった気でいて、実は、母に守られた子ども部屋に生きていたのかもしれない。

「芸術は正気を保証する」
ブルジョワはそう語ったという。自身の芸術が松葉伺や義肢のように機能することで、様々な苦難を克服できた。自身は、サバイバーであり、芸術がそれを可能にしたのだと。
展示の最終章は「青空の修復」と名付けられている。ここでは、彼女の芸術がいかにして、さまざまな二項対立の中で心に平穏を取り戻そうとしたのかに迫っている。
青という色は、海や空の色でもあり、平穏で無限性を秘めた色である。実際に、「寒色」に分類される青は、心拍数や血圧を下げる色である。東洋大学の野村順一教授が行った有名な実験では、被験者に目かくしをして、「全てが赤い部屋」と「全てが青い部屋」に順番に入ってもらうと、赤い部屋に入ると心拍数は増加し、血液・体温とも上昇した。一方、青い部屋に入ると心拍数は減少し、血圧・体温とも下がるという結果になった。目では見えていないにもかかわらず、である。
実際に、あの真っ赤な、父親の解体ショー(言い方)の部屋に入った時、妙に落ち着かず、恐怖感がありドキドキした。この展示上の対比により、私たち鑑賞者自身が、色による身体感覚の変化を直感的に感じ取れるというのも、興味深い体験であった。
ところで、「ブルー(憂鬱)」という表現に見られるように、青は冷徹さや、鬱屈さも象徴するように思える。
例えば広大な空や海を前にすると、心は平穏に凪ぐ一方で、疎外感や孤独感を持つこともある。
あるいは、冷静であるという状態(=正気)は、感情が暴走せず、理性が働いている精神状態を指す。それはある意味では、諦観や、悟り、つめたさとも繋がっていると言える。
そう考えると、青という色自体が、このような二つの要素を内包しているようにも感じられる。
ブルジョワにとって、芸術という手段が、無意識下でこの青に象徴されるような「客観化」「冷静な分析」を可能にしてきたのかもしれない。

この作品は、最後に展示されている。ブルジョワの作品の中では、決して大型の展示でもない。だがこの作品を目にした時、何を考えるでもなく、涙が出てきた。
私はそれほど涙脆いタイプではないので、我ながら動揺した。しかし確かに感動したのだ。
ここまでの展示で赤裸々に晒されてきた、ブルジョワの抱える依存や執着、苦悩、喪失感、理不尽、怒り、恐怖、虚しさ、トラウマ、コンプレックス、自己嫌悪、精神病…そのような、「生きる苦しみ」に晒され、女体は片足を失っている。青々とした実の中には、黒々と腐敗したような実もある。よく見ると、途中の空白の時期を経た、涙のようなオブジェクトもぶら下がっている…
ここまでブルジョワの壮絶な作品たちを通して、彼女の人生を追体験した上でこの作品を前にすると、片脚でも強く立つ女性の姿は、これが生きていくということなのだ、と、語りかけてくるようだった。
黒くなった実も、自分の片足というパーツを失った自分も、自分の生を象るものと肯定し、芸術という名の松葉杖で立ち続けたブルジョワの人生そのもののようだった。
さらに今回の展示で、要所要所で感じたことがある。それは、フロイト精神分析との一致と不一致である。
例えば昨今のフェミニズムやジェンダー論において、愛、性愛の領域を個人史のせいにして問題化しないことへの批判は強く、実際、現代社会における私たちの「愛」の問題認識は、時代的なシステムや社会経済の影響を避けては通れなくなっている。しかしながら、私はブルジョワの展示において、幼少期の経験というのは、やはり一生の人生の課題となり得るということを強く感じた。性愛への執着、あるいは愛と呼ばれる領域での人間関係のスタンスは、やはり幼少期に何かしらの種が認められるという側面があることを裏付ける一例になっていると感じた。
しかし、ブルジョワの創作は、フロイトの精神分析とは異なり、トラウマを静的に「解釈」するだけではなく、それを繰り返し創造し、新たな価値や理解を見出す動的なプロセスであった。その意味で、いわゆる「ステレオタイプ」から逸脱した、彼女自身の眼差しで捉え直した「生ける精神分析」の営みであったように感じる。ジェンダーにおいてのみならず、彼女は、自身の負の感情、深層心理、違和感を表現し続けた。
フロイトの精神分析が患者と分析者の関係に依存し、言語を媒介とするのに対し、ブルジョワは身体性と物質性を媒介にした点も異なる。
さらに、そもそも、フロイト精神分析が問題を解決して「終結」することを目的とするのに対し、ブルジョワは、普通なら目を背けたくなるような過去と向き合い続け、再現し続けることで、トラウマを「解釈し続けている」ように感じた。しかも生涯を通して、である。
ある意味、主体的な「反復脅迫」を、創作によって自己内生産し続け、深め続けたのである。とんでもない精神力だと思う。
私が《トピアリーⅣ》に否応なく心を動かされたのは、いわゆる「克服」「成長」といった問題解決的な方向性で、ブルジョワが過去を乗り越えたのではなく(その意味で、静的な「完成」を目指したのではなく)、傷つきながらも生きていく、生きていくしかなかったのだという、動的で継続的なプロセスが人生であると、感じさせられたからだ。その力強さたるや、なんて説得力だろうか。
現代にまことしやかに説かれる、数々の精神論を思う。
ネガティブな感情はやり過ごし、あるいはそんなものにヘコたれない強靭なメンタルをもて、それが大人だ、それが強さだ、成長だ、自己克服だ__本当にそうだろうか?
恋愛に傷つくのは個人の弱さだ、鈍感であることが幸せだ、傷つくのは自信がないからだ、自信を持て、責任を持て、自立した大人の女性になれ__本当に、そうだろうか?
これらはまさに、フロイト派が、愛の不成就は個人の精神史から説明されなくてはならない、すなわち、恋愛的・性的な領域を私的、個人的責任に転嫁した現象に通じている。
だが私のトラウマは、それを無視して仕事や消費活動に邁進して生きることで解決する類のものではない。「恋愛がうまくいかないのは自分に欠陥があるからだ」と悲しみ、その苦しみから忘れるべく日本酒をあおっても、それを忘れる勢いで仕事に邁進しても、金を稼いでも、整形やらをしてコンプレックスを消しても、根幹の苦しみは癒えず、またどこかのタイミングで、ひっそりとそれは、私の目の前に佇むのである。結局、私が反復的に向き合い続け、表出することでしか救われない。自己精神分析とは、最も辛く、最も強さを求められる行為である。
エピソードの重さや程度は多種多様だが、すべての人々はそれぞれに、生きている限りにもちうる苦しみがあるはずで、中には、幼少期から培ってきた自分だけのトラウマがあるだろう。
私はブルジョワのような過酷なバックグラウンドを持っているわけではない。それでも、子どものような繊細さや、トラウマの意識は一丁前に自認している。家族関係で悩んだり、恋愛がうまくいかず自責の念に苛まれることもある。その度に、いまだに昔の自分と対峙する瞬間が訪れて、子どものように泣く日もある。
些細なことで傷つく弱さを自覚したり、なぜか怒りが湧く瞬間、その感情と(それの「はじまり」とも言える自身の過去と)本気で向き合い続け、傷つきながらも内面を見つめつづけることほど、キツいことはないだろう。だが、その姿ほど勇気をもらえるものもないと、この展示で私は学んだ。
美術館を出る時には、頭も心も疲れていたが、心身が満たされたような感覚が心地よかった。言語化できない感情の中で、今日からまた生きていこう、と思った。少し遠回りをして、歩いて帰ろうと思った。
正気を装う必要はない。冷静であること、理性的であること、良い子であること、よく見られようとすること、そういったふうに振る舞う必要はなく、自らが実際にそうでないからといって自罰的になる必要もない。些細なことで傷ついてもよく、傷ついていると見られてもよく、ただ、その時に正気でいられるように、松葉杖をどこかへやってしまわないように、私は書き続けなくてはいけない。これが私の精神分析の手法である限り。
今後、苦しみや喪失、折り合いが到底つけられないように思える気持ちを抱えても、私も彼女のように生き抜いていきたい、と、ただその決意をここに刻む。