クラス替えで人生詰んだ 1.運命の日の前

春、4月は学生にとっての進学、進級の季節。
僕も何十年前はしがない中学生で、2年に進級した時のことです。
ああ、クラス替えで人生詰んだ…。

そこで中2になるまでの経過について。
前提として、私は発達障害(いわゆるアスペルガー症候群)でした。まあ、それを知るまでその後何十年もかかってしまったわけですけれども…。
で、いじめられていたわけです。

いじめられる理由としては、子供のころは非常に自己主張が強く、かなりわがままだったからです。
幼稚園ではあまりにも自由に動き過ぎて、親や先生を困らせていたと聞いていますし、何となく覚えがあります。
だからといって悪態をついたり他人に攻撃したりと、やんちゃとかでの迷惑ではなかったですが。
小学校ではさすがに自由に動くことはなかったですけど、なぜか知らないけどクラス委員とか班長とか、あるいは文化祭での劇の主人公とか、そんなのにあこがれてよく立候補しては落ちてたです(『ちびまるこちゃん』の丸尾君をイメージすればいいと思います。丸尾君はクラス委員になりましたけど)。
それが高じて、相手を困らせたり迷惑をかけたりしたかもしれない。と今は思っています。けど先に述べた発達障害なのか、他人の考えていることに目を向けるまでには行きませんでした。

ぶっちゃけプライドが高く、自分を否定されるような事や、貶められるような事を言われると傷つくわけですよ(現在もそうです。プライドが高いのははっきり言って対人関係ではマイナス面でしかない)。

小学校3年以降、自分の思うようにいかない時、相手に物を投げ、暴力をふるうことがありました(ただし、ケンカ自体は弱かったです)。
そういうわけでして、つまるところ「嫌なガキ」だったわけです。
今の自分が過去の自分の隣にいたら、やっぱりウザかったのではなかったか?と思います。
(現在も、自分の思い通りにならない事があった時、とても我慢できない事がある)。

小学校5年~6年、僕に対する激しいいじめが始まった。まあ、詳しい経緯は端折ります。
後述する小5の林間学校が原因ではなかったかと思います。あれは自分にとって本当に悲惨な3日間でした。
5・6年の終了間近の時、それぞれ担任を交えて、僕のいじめにつて話し合う時間がありましたが、それで終わるとは思っていませんでした。結局解決には至らなかったし。
教師も教師です。当時の小中学校教師は今と違ってあれこれ細かい割に意味のない仕事は少なく、楽な職業だったと思います。言うことを聞かない生徒は叩いて従わせるのが普通でした。ああ、本当に楽な仕事だ…。ちなみに僕は教師に体罰を受けたことは数回あったが、少なかったです(なかったわけではない)。

中学に進学し、他の小学校から知らない生徒が交わると(1学年8クラス)、いじめをする人物が自分のクラスに少なくなり、比較的のびのびとした生活を送ることができました。もちろんいじめを受けることはありましたけど…。
1年終了間近のとき、生徒会役員に立候補しなんと当選しました。普通、生徒会役員選挙は新学期初め(4月)と半ば(9月)に行われるはずなのですが、この時は学年末に行われた。その事情は分かりませんが…。
立候補の理由は
①いじめられていたので、相手を見返してやる意図があった。
②小学校の時から、生徒会役員にあこがれを持っていた。
③生徒会では「いじめアンケート」を行うつもりであった。これは、アンケートを行う事により、自分のいじめも、解決できるのではないかと思ったから。
④「荒れた中学」を何とかしたいと思っていた
⑤よこしまな考えであったが、高校進学時に有利になると思っていた

実は僕の通っていた中学(当然公立)はひどい「荒れた中学」で、在学中に、暴力事件が新聞にたて続けに載りました(TVニュースにもなったらしい)。
最初の事件はちょうど中学1年の3学期、暴行した生徒は、非常に暴力的でワルで知られた奴でした。今は何をやっているのでしょうか?
その後、後述する2年の時の事件など、在学中に立て続けに3度新聞に載りました。
こんな事件を扱った当時のマスコミは本当に暇だったと思います。記事にされた学校の在校生の事も全く考えてなかっただろうし。

で、中学2年の始業式の日になります。
①いじめられていた
②生徒会役員になっていた
③荒れた中学を何とかしたいと思いっていた
こういった思いを抱えての進学でありました。

※今も恨む人物はいますが、それは当時の教師とかで、基本いじめた相手を非難するつもりはありません。許しています。

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