クラス替えで人生詰んだ 6.最悪の文化祭

夏休み終了後、生徒会の任期切れ(出てないのでもう他人事)・体育祭(欠席)など、2学期は精神的に追い詰められながらも、学校へ出たり休んだりを繰り返していました。
本当は行きたくなかったのですが、ここであきらめれば来年の高校受験に響くという恐怖もありました。

そして11月3日は「文化の日」で文化祭。この年は日曜日でしたが、月曜を振休として開催されました。
実はこれまでも書いていた「変なこだわり」で、林間学校も体育祭も出てないのに、文化祭は「合唱コンクール」というのがあって、それには参加しなければという義務感があったのです。
もちろん練習も出ました。周りはどう思っていたのでしょうか?

当日、開会式のため体育館へ。
前に述べたように、体育館は全校生徒が集まるととても狭く、カーテンが閉められた薄暗い中での生徒の私語と教師の怒鳴り声で、最初から精神的に参ってしまいました。
結局、保健室で休むことになったのですが、相手は保健の先生だったか、クラスの関係者だったか「どうしても合唱コンクールに出たいので、その時は起こしてほしい」と、念を入れて頼んで休みました。

が、起きたときにはすでに事は終わっていました。

「自分は何のために行ったのか?それだったら当日休めばよかったのではないか。やっぱクラスののけ者だったんだ」
と、クラス全員に対する敵対感を秘めただけでした。
ひょっとして、起こそうとしても起きなくて、仕方なくあきらめたかもしれないですけど…。

その後にクラス内の展示品を見た記憶があります。

ちなみに当時この中学では、夏休みに「一人一研究」だったか、何かしら研究か制作をする宿題があって、それを休み後に発表して一番を決めることが行われていました。それを文化祭で展示するのです。
実は去年(1年生時)では自信をもって発表した研究が、同級生に理解できずに悔しい思いをしています。
この年では、夏休み中に名鉄全線を乗りつぶして、それを紀行記として書いたものを提出しました。
当時僕は鉄道に乗ることが好きで、読んでいた紀行作家をまねて自分でも文章を書いてみようかと試みたのです(その文章は残っていませんが、多分かなり拙い代物だったと思います)。
けど趣味として書いたもので、宿題として出すものが無いので出した程度のもの。
休み後の発表もいつ行われたのか分からず(学校へ行くこと自体困難になっていたので)、それが1等になったと知っても何か自分のことに様に感じられなく、別の世界の他人事のように感じてしまいました。

その当時よりも、今の方がうれしく感じますね。


文化祭翌日以降、しばらくおしっこの出が悪くなった。
病院で見てもあったら、筋肉が硬直していたとのこと。
しばらくしたら治ったのですが、どうやら文化祭の開会式での緊張が原因だったようです。

11月8日(この日は晴天だった。カレンダーや当時の天候記録から推測)無理をして学校に行きました(遅刻)。
が、近づくとAをはじめクラスの連中が、窓から自分に向けて悪口を言い始めたのです。

なんだとコノヤロー!

そのため石を手にして教室へ行き、それを思いっきり投げたまま(ものを投げるのは下手なので、だれにも当たらなかったが)、家に帰りました。

その後、担任からの電話で悪口ではないと聞かされましたが、真実はわからりません。
ひょっとして、ひょっとすると本当に悪口ではなかったのかもしれません。

当時の自分はクラスの連中を敵だと思っていましたし、彼らの言葉が幻聴に聞こえたのかも。
僕は当時も今もうつ病ですが、統合失調症ではないです。だから幻聴も聞いたことありません。
けど、子供の頃はよく空耳が聞こえたりしましたので、そういう可能性はあったのか?
この件に関して、本当は同窓会等で確認したかったのですが、結局聞きそびれてしまい、今でも分かりません。多分永遠に分からないでしょう。
そもそも今や同窓会も行きたくないです。行っても自分がみじめになるだけです。

この事件以来、もう教室へ行くことは出来なくなってしまった。
保健室登校です。
担任も両親も教室まで行くことを強制しなくなり、内心ほっとしたものです。
けど、のちの高校受験時には本当に苦労しました。


2年2学期の終業式、久々に教室に入りましたが、もの凄く居所が悪く「自分の居場所はここには無い」と思ったものです。
翌年(3年時)の4月末まで、自分の教室へ行きませんでした。

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