クラス替えで人生詰んだ 9.修学旅行は行かなかった

中学3年生になりました。
学校に行くこと、特に教室へは行けなかった。相変わらずの保健室通学です。
あと保健担当が変わり、まだ経験が無かったのか少し頼りない感じで、それでひどい目にあったこともありましたが、以前の担当の方と同様、親身になってくれたと思っています。

4月末、修学旅行(東京と日光)がありました。もちろん行きませんでした。
そもそも教室へ行ってないので同級生がだれなのか分からなかったし、いくら同級生とはいえむしろ「敵」くらいに思っていたので、行くはずありません。
また自閉的な生活で、他人とのトイレ、入浴や就寝が、精神的に不可能でした。そういった状況で、当然参加できる精神状態ではありませんでした。

先に述べた不登校児親子の交流会で、別の中学の不登校児が修学旅行には喜んで行った、ということを聞きました。
何年もあとネットで調べたところ、そういう人もいるとのこと。
しかし当時はそれを聞いて、ちょっとありえないと思いました。

しおりをもらったので、学校からバスで岐阜羽島まで行って、そこから新幹線で東京というルートは覚えていますが、日光まではどうやって行ったのか?宿泊地はどこか?行ってないので分かりません。
東京では国会内部を見学したはずです。
社会人になって、1人旅で東京や日光へ行きましたが、さすがに国会内部は行ってません。そういう意味で、修学旅行は普通なら体験できない事柄を体験できるという重要な教育だと思います。

まあ僕は高校の修学旅行も行ってないですけど。
高校のそれは「スキー合宿」だったので、つまらないと思って精神科の先生に診断書を書いて断りました。

とはいえ、その代わりといっては何ですが、同じ頃にある理由で、1人で東京へ出かけ1泊した事がありました。楽しかった。


その勢いで、4月終わりに初めて教室に入って授業を受けたとき、数か月のギャップにより、違和感を覚えて、何かしら浦島太郎みたいな思いをしまし
た。

その後、何回か学校へ行ったが、なかなか馴染めなかった。
学校へ行っても校門へ入ることが出来ず、学校の周りをぶらぶらしていて通報されたこともあります。


ある日の事(2年時の3学期か3年時になってからか、記憶があいまい)、保健室にいるときに、いじめの当事者の幾人(Aではない、他のクラス。小学校では一緒になったことがある)が同室にやってきました。
僕は1人勉強をしていた記憶があります。
当然会話はありません。しかし、彼女らが当時流行していた尾崎豊について熱く語っていたのが、印象的でした。
僕の方はいつ何か言われるのか気が気でありませんでしたが。もし言ってきた場合、殴る心の準備をしていました。

今では保健室登校の場合、いじめの被害者・加害者双方を一緒にしないという当たり前の配慮がされていると思いますが、当時はその点がおおらかだったともいます。いじめられた方は針のむしろ状態でしたけど。

そういえば、2年後半から3年にかけて、体育の授業を一度も受けていない。
体育の先生は3年間同じ教師、体育教師にしては珍しく優しい人で、何が脅したり暴力をふるったりすることはなかったです。運悪く別の教師だったらそうなっていたかもしれない…。


再び登校を初めてしばらくして、こんな噂を聞いきました。
他校からいじめで転校した人がいたそうだ。
しかしながら僕には、こんな良いところが一つもない学校にわざわざ転校する馬鹿がいるのかと、あきれて物が言えないなと思いました。

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