クラス替えで人生詰んだ 5.生徒会
生徒会にあこがれていて念願の役員になったものの、不登校になり、結局,
生徒会活動が満足にできませんでした。
任期は半年でしたが、最終的には生徒会の行事への参加すらできなくなってしまうという情けない状態になってしまいました。
ここで一緒になった1学年上の生徒会長(多分以前も生徒会をやっていた人物。なお会長は役員内の会議で選ぶ)という奴が嫌な男で、やはり自分をいじめていた連中と同じでした。
いじめの内容はここでは避けますが、生徒会は明らかに内申点目当てだといえます。
こいつの鼻を明かしてやりたかったのですが、できず残念でした。
で、せっかくの役員選挙で獲得した生徒会の仕事内容について。
具体的には「ベルマーク集め」です。
PTAの関係者などが集めたベルマークを、ひたすら集計していました。ちょっと地味過ぎませんか?
僕は生徒会の仕事について、もっと華やかなものとおもっていました。幻想がものすごく強かったのではないかと思います。まあ途中で脱落したので、すべての仕事を経験したわけではありませんが、ひょっとしたら華やかなものもあったのかもしれない。
けど不登校にならなくても、自分が描いていた「いじめアンケート」といった活動ができたかどうか…。
その地味な生徒会の仕事のほかに、夏休みの時期に「子ども市議会」なる行事の話があり、不登校で精神的に追い詰められていた状況ではありましたが、無事参加することが出来ました。
当日、僕が「議員」として話したのは、
①部活動の時間が多すぎて勉強等に時間に費やす時間がないということ(運動部の経験は後日改めて書こうかと。土日も出席を強要され、気違い過ぎて数か月で辞めました)と、
②自校の施設(体育館など)が他の学校に比べ劣っていたこと、
でした。
校舎は教室不足で、特別教室を通常の教室に使っていたくらいです。一方で当時の最先端だったというLL教室と呼ばれた英語学習の教室は、機械の故障で使えないままになっていました。
老朽化と狭隘化でひどい状態にあった体育館は、当時全校生徒が入るとスシ詰め状態になり、なぜかカーテンを閉めていたので常に薄暗く、自分にとって最悪な空間でした。
11月、そこで「最悪の文化祭」が開催されたのです。
その後、体育館は建て替えられましたが、卒業していたので自分には全く関係なかった…。
夏休みを過ぎると不登校の日が増え、生徒会の仕事をする余裕がなくなって、結局9月末の最後の行事には出席できず、1人教室で待機していました。
体育館で行われた全校集会でしたが、教師の怒鳴り声を含めてその様子が教室のスピーカーから小声でも聞こえ、耳をふさいだり、廊下に出て聞こえない場所を探したりと、さまよった覚えがあります。
その後だと思うのですが、クラス替えのせいで生徒会の活動が出来なかったと担任に話したところ「また立候補して、いじめ問題にむきあえばいいのではないか!」と言われ、印象に残っています。多分自分はその時(もうそんなことはできない)と泣いていたんじゃないかと記憶しています。
学校にすら行けないのに、生徒会への立候補はもう眼中にはありません。
ここでちょっとした与太話を。
当時の市長は、僕の住む中学校区から出ていた前市長を破って当選しました。そうことで地元は冷遇されていたと思われます。
だから自分の学校で事件が起きたとき、内容自体は他の学校でもありえた程度(当時はどこの学校も殺伐としていました)であっても、自分の所だけ常に新聞やTVにさらされたのは、何か政治的な意図でもあったのか?と思っています。
もちろんその地域の中学が「荒れた中学」だったら、地域の評判も悪くなるでしょうし。
その市長はかなりのやり手でしたが、最終的に4期目になって、市営施設新設の際に特定の設計業者に配慮し、金銭のやり取りがあったとして逮捕されています。それでやめました。
地元を優遇し、一部地域を敵地として冷遇するような市長にふさわしい最後だったと思います。
まあ、以上は僕の妄想かもしれないのですが(逮捕されたのは事実です)。