【SNSで作品を発表する創作者向け「批判するのを避けるメリット」とは?】
はじめまして、たまやまと申します。
シナリオライターとして、共同でゲーム制作をしています。
人生に役立つ有益な情報を何かしら届けたいなと思い、筆を執りました。
今回のテーマは「創作者が他者作品の批判をSNS上でしないほうがいい理由」です。
私はゲームが好きでよくフリーゲーム(特にSRPG)を遊んでおり、X上でも多くの方をフォローしています。
そこで非常に不思議なのですが、不用意な発言(例えば同ジャンルゲーをプレイしてチクチクdisる等)で炎上している創作者が結構多いのです。
「作品批判なんて一瞬気持ちよくなれるだけで意味は皆無。生産性もまったくない。ましてや自分の作品を発表する立場の創作者がする理由が一切分からん」というマインドなのですが、根本の考え方をインストールしていただければ他の創作者にとって実は有益なのではないか?と思い、共有していきます。
※以下は個人の感想です。注意喚起しないと怒られそうなので……。
①潜在顧客を手放す:ファン心理を考える
これだけ覚えてブラウザバックしてもらっても構いません。
創作物を作成し、SNSで発信しているならば、貴方は顧客に常に見られていると思ったほうがいいです。
ネガティブな発言を繰り返すと発信者自身へのネガティブイメージが形成され、潜在顧客が離れていくことになります。
「創作者の人となりを知ってゲームをプレイしたくなる」という人は少数だと思います。
ましてや、別に有名人でもなければなおさらです。
むしろ、「創作者の人となりを知ってゲームをプレイしたくなくなる」という人は結構いるのではないでしょうか?
実際、「面白いゲームだった!SNSやってるのかなぁ?」⇒「閲覧」⇒「なんやコイツ、文句しか行ってないやんけ、見なきゃよかった……(ドン引き)」みたいな経験、私は何度もあります。
そして新作が出ても、「いや、アイツのゲームやるくらいなら、他のやるわ……」となり、手が伸びなくなってしまいました。
全てを覆すレベルの圧倒的な完成度なら関係ないのですが、少なからず影響はあるでしょう。
一時的な快楽によって批判するのを抑えるだけで顧客が増えるのに、なぜ批判してしまうのでしょうか?
多くは「自己の有能性の主張」をしたいという衝動が抑えられないのかなと思っています。
批判することで「この人はこんな指摘が出来るんだ!」と思われるのを望んでいるのです。
上手くいけば「あの人はいつも他作品を舌鋒鋭く指摘しているから優れた人なんだ!だから生み出す作品も最高傑作ばかりなんだ!」みたいな「ハロー効果(目立つ要素に引きずられてそれ以外も評価されやすくなる現象)」を生み出す可能性もありますが、リスクが高く見えますね。
本当にもったいないことだと思います。
例え趣味で創作しているという人でも、自分の作品を手に取ってもらいたい人が多いですよね?
私はどうせ作ったなら、多くの人に触れて欲しいなぁといつも思っています。
だったら、自分で可能なマイナス要素を防ぐことはとても大事です。
これはSNSでメンヘラ発言してしまうのとも繋がりますね。
「もう全然書けなぃ……。死にたぃ……。」「大丈夫です、私は○○さんのファンだから応援します!」みたいな心温まる場面に出くわした時、周りの人たちは一体あなたをどういう風に見ているのでしょうか?
「匿名のSNSなのに何で思ったことを言っちゃダメなんだ」という人、いるかもしれません。
極論、趣味のアカウントなら何を言ってもいいです。
政治の話でも野球の話でも宗教の話でも、なんでもしてください。
ですが、創作者として作品を作り、その作品を見てもらいたい、プレイしてもらいたいと望むなら話は別です。
明らかに場所を履き違えています。
(メンタル的に良くないですが)裏アカでも何でもいいので、そこで垂れ流してください。
まぁこんなことばっかり考えているから、呟く回数も少なくなるのですが……。
②セルフイメージがマイナスに:メンタル悪化
悪い言葉を吐くと、必ず自分に返ってきます。
批判ばかりしていると何をやっても物事の粗を探すようになり、それは最終的に自分自身へも向けられるようになります。
自分の生み出す作品にも自信が持てなくなり、筆を止めてしまうという結果にもなりかねません。
批判的に物事を見るのは大事です。
ですが「批判的に見る」のと「批判する」のは違うし、批判的に見て思ったマイナスなことを、わざわざSNSで喧伝する必要はありません。
自分の創作ノート(または日記)でも作って、そこに書き留めておけばいいのです。
「この作品をやって、戦闘は面白かったけどストーリーはイマイチだったな。どう改善すればよくなるだろう?」「UI微妙だったな……。でも、ここは綺麗で見やすかった。」などと考えて書き留める。
創作において具体⇒抽象⇒転用することや、換骨奪胎(表現や型を取り入れて自分のものにすること)は大事だし、アウトプットすることも重要です。
アウトプットすることで血肉となり、長期記憶に繋がります。
紙やPCにメモするだけでも十分アウトプットになりますが、もし発信するなら、抽象化し転用するプロセスを踏まなければならないかと思います。
それならば「名指しで批判する嫌な奴」とはならず「役に立つ有用な情報を発信する創作者」になれるかもしれません。
また、自分を顧みられることは非常に重要ですが、基本的にポジティブイメージを持って自己肯定感を上げていったほうが何かと成功しやすいものです。
スピリチュアルな面もあるかもしれませんが、言葉や思考はモロに個人のメンタルや考え方に影響すると思います。
「100%無理だ」と考える人と「100%出来る」と考える人のどちらが目標を達成しやすいでしょうか?
どう考えても後者だと思います。
無理な目標を設定するのはダメですが、自身の目標を見据えて刷り込んでいくと、その目標に向かって勝手に行動し始めるようになります。
これはコンフォートゾーン(心理的な安全領域のこと)から脳が外れるために起こる現象で、「目標はこれなのに、俺はこんなことしてていいのか?」となるわけですね。
脳は理想と現実のギャップが大嫌いなのです。
③SNSへの執着に繋がる:やる気の喪失
自分の権威を誇示しようとして批判をするとだんだん気持ちよくなり、SNSに依存するようになります。
なぜなら、自分の偏った意見に賛同する稀有な人が現れたりすると、仲間意識と自尊心が一気に満たされ、気持ちよくなってしまうからです。
自分の心地よい居場所だと勘違いしてSNSに居座り始めることで、SNSの害悪を顔面から受け止める羽目になります。
皆さんも薄々分かっているとは思いますが、SNSは本当に害悪の塊です。
時間を決めてやってください。
ダラダラ見てる時間を減らしただけで、私は心身ともに本当に健康になり、空いた時間で別のことができるようになりました。
創作意欲が湧いたりnoteを書く気になったのも、このおかげです。
そもそもSNSは広告宣伝費を稼ぐために、なるべくその空間へ滞在させるような仕掛けが施されています。
指でフリックすると次々現れる情報の濁流は、スロットを行う際の興奮に似ているとも言われています。
人間の脳は「次に現れる情報への期待感」でドーパミン(平たく言うとやる気物質)を出しているため、現れている画面をちゃんと見ていないらしいのです。
回し車のようにSNSに囚われて、グルグルグルグル画面をスライドする……。
どこのvtuberが炎上した(私はホロライブが好きなのでよく見てます)、芸能人が不倫した、通訳者が賭博をした……。
正直、人生においてどうでもよくないですか?
「人生はどうでもいいことの繰り返し」なのかもしれませんが、もう少しやることを選びましょうよ……。
そんなセルフイメージにマイナスしか及ぼさないモノには、自分から離れたほうがいいと思うのです。
SNSは粗悪なドーパミンを煽りまくり、あなたの創作意欲が損なわれていきます。
「人間の集中力は限りがある」というのが定説で、起きた瞬間からドーパミンは減少していきます。
一日の仕事が終わって家に帰ると、手軽にドーパミンを得られるジャンクフードやテレビ、SNSに流れやすいのはこのためです。
逆に言うと、朝起きた瞬間はやる気がみなぎっており、めんどくさい行為でもやる気になるのです。
朝にSNSをチェックし、クソどうでもいい情報を見てマイナスな気持ちにでもなったら、その一日はもう終わりです。
おわりに
以上、「創作者が他者作品の批判をSNS上でしないほうがいい理由」でした。
本当に些細なことで作品が日の目を浴びなくなると哀しくてしょうがないので、ちょっと言葉を強めに書きました。
何かしらの気付きを提供できましたでしょうか?
今後、暇があれば何かしら人生に役立つネタを共有できればいいなと思っています。
それではまた。