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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガセット著 佐々木孝訳~

<<感想>>
「大衆」とは・・・・・・
自らの使命を顧みず、みんなと同じであることに満足しきった群衆。
静的に自らのうちに引きこもり、外圧によって自己の外に出ることを強いられない限り、終わりのない引きこもりを宣言された人間のあり方を指している。
「不活性」という一言にいいあらわされている。

著書の中で、「大衆」の自己閉そく性について語っているところは非常に興味深い。
大衆化した人間は自分が完全だと思い込み、異なる意見・視点を受け入れようとしない。
つまり大衆は「自己閉そく性」の中にあるという。

著者は「愚者」と「賢者」との比較を通じて、その性質をあらわしている。
著者の言葉を借りれば
「賢者は自分が些細なことで愚者になるかもしれないと自戒している。だからいつ襲うかもしれぬ愚かさを避けるための努力を怠らない。知性はまさにこの努力に基づいている」
「それに対して愚か者は、自らを疑うことをしない。自分を分別豊かな人間だと思っている。おのれの愚かさに居直っているので、羨ましいほど落ち着きはらっている。・・・・・・・・・・馬鹿は死ぬまで馬鹿である」とある。

このメッセージこそが著書の主題ではないか。
大衆は自己閉そく性の中にあるために、狭い世界での主観でしか自らを判断できない。であるがゆえに他者(時の権力者など)に扇動されやすく、自らの行為を途中下車し俯瞰することなく、一気に突っ走ってしまいがちとなる。それが例えば「直接行動」(暴力行為)となっても、自分の都合のいい大義名分を探して自分を納得させてしまう。

ある意味で、フランス革命がそうであったと思う。
憲法を制定し自由と平等を保障する革命であるものが、途中から万人平等の社会を打ち立てるための革命に代わってしまった。さらに行き過ぎた「直接行動」が恐怖政治をもたらすことにもなった。

歴史は繰り返してはならない。
一部の愚か者の偏った思いに扇動されないよう、いまこそ大衆は自分自身を見つめ直すべき時である。まさに「賢者」となるべく研鑽が求められると考える。 



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