落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『弓浦市』川端康成著~
まったく記憶のない30年ほど前の、見知らぬ土地での話を、突然訪れた女性から詳細に語られる。しかも主人公・香住はその女性に求婚までしたという。
居合わせた三人の訪問客はその女性の幻想・妄想として話を片付けたが、一方で香住は自分の記憶力に一抹の不安を抱いているため、不思議な感覚が残る。
実に奇妙な話である。
確かに女性の妄想とすれば話はそれで終わる。その後、女性がさらに新しい「昔話」を持ってきて、香住が翻弄されるというストーリーもないわけでもない。
ただそれでは事実が明るみになった段階で話は完結する。話の広がりが乏しいものになる。
例えば、作品の話が香住の「夢」であるとしたら。あるいは「夢」と「現実」が混在した話としたらどうだろうか。ミステリー調な作品であるので、そんな仮説があっても面白いかもしれない。
記憶にやや自信がなくなりつつある「現実」の香住。一方で作家である自分自身の「夢」の話。その混在が妙なリアリティーを演出しながら話が進んでいったとしたら、この作品も納得できないことはない。もっとも納得する必要はないかもしれないが。
フロイトは「夢は無意識による自己表現である」として、「その人の潜在的な願望を充足させるもの」として考えていた。
それを純粋にこの作品にあてはめたら、香住(ほぼほぼ川端康成)は夢の中でも作家であり続けたと考えるのは極論すぎるだろうか。
いずれにしても奇妙であることは間違いない。川端康成の作品はあまり読んでいないが、もしかしたら作風の一つに「ミステリアス」というキーワードがあるのではないか。
そう考えると『雪国』の最後のシーン。火災が起きた繭蔵の二階から葉子が失神して落ちてくる。駒子は葉子を抱えながら「この子、気がちがうわ。気がちがうわ」と慌てふためく。
このシーンも極めて奇妙であり、次の展開を読者に考えさせるものである。
そうした点において『雪国』との作風の類似を感じた作品のようにも思われる。考えすぎかな。