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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『現人神の創作者たち 上』山本七平著~

<<感想>>
今日の日本のかたちの成り立ちについて、評論家の山本七平が歴史や中国を中心とした諸外国との比較から分析したもの。文化人類学的な側面が強く古語も多いため、歴史リテラシーに乏しい自分には難解であったが、そんな中でもキーワードが明確になっており何とか理解できたように思う。
 
上巻の中では、「正統性」「習合と妙契」「靖献遺言」の3つのキーワードをあげたい。
これらはどれも独立しているのではなく、それぞれに深く関係しているものである。
 
まずは「正統性」。著書には「人類普遍の原理」とあったが、国としての方向性を示す絶対的な根拠となるものと言いかえることができる。
そもそも古来の日本は「慕中国主義」であった。中国を絶対と考える延長線上に「日本こそ中国である」との考え方も生まれ、それが「天皇中国人説」にもつながったものと思われる。
 
一方、日本の宗教・思想・文化の世界は基本的に「習合」であった。
「習合」とは「文化接触によって生じる2つ以上の異質な文化的要素の混在・共存」を意味する。例えば、宗教は江戸時代は「神仏習合」であった。厳密には「仏主神従」であり、仏教が神教をとりこもうとしていた。が、神教という神宣に基づく日本固有の思想が江戸中期以降、勢力を持つことになる。この流れの中で、徳川光圀は寺を廃絶させ、僧侶を百姓にさせたというエピソードもある。
結果として、神道が「妙契」(一致する・定着する)ことになり、そこに尊王思想の正統性が見出されるようになる。
 
「靖献遺言」(せいけんいげん)は江戸時代の儒学者浅見絅斎の主著で1748年に刊行された歴史書。中国の歴史上の8人の忠臣義士の行状について書かれたものである。その中には、王朝の正統性のために命をかえりみずに忠を尽くしてきた内容なども書かれており、幕末の「尊王の志士たちのバイブル」ともいわれたようである。尊王思想が強まるひとつの契機になったと思われる。
「靖献遺言」が絶対化しているのは「天」であり、政治的人格神である。
上巻では書籍のタイトルにある「現人神」について多く触れてはいないが、日本ではすでに万葉集で天皇のことを「現つ神」と歌っている歌が多いことから、「靖献遺言」が「天皇」をおして政治的人格神である現人神との理解を呼び起こし、促進させたのではないかと思う。

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