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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『「いき」の構造』九鬼周造著~

<<感想>>
40年以上も前に出され、すでに65刷しているベストセラー。ずっと気になっていたがこれまでなかなか手の出なかった一冊であった。読み始め、文体の古さもあってかやや抵抗感を覚えたが、落ち着いて読んでいったらとても面白かった。
江戸時代の吉原遊女のあり方をベースに、江戸時代の江戸大衆の「いき」という生活文化について書かれたものと理解している。
「いき」には3つの徴表(ちょうひょう:特徴のこと)がある。①異性に対する「媚態」(こびること) ②「意気」(意気地・気概) ③諦め(執着から離れた無関心)である。
 
中でも「媚態」が一番理解しやすいかもしれない。
媚態とは「なまめかしさ」「艶っぽさ」「色気」などのこと。必ず相手が存在し、相手がどのように感じるかがポイントになる。ただし色恋だけの話ではない。
大切なのは、生活スタイルとして艶っぽさや色気につながるもの。そこに男女差はない。
例えば「姿勢」。著には「軽微な平衡破却」とあったが、「軽く姿勢を崩すこと」と言い換えることができるだろう。立ち姿でもひねり腰であるとか。そう考えると必然的にスリムであることが求められるか。表情にしても「流し目」とか。さらに唇の微妙な弛緩と緊張のリズム・・・・・・。浮世絵をイメージしたらわかりやすいだろうか。
「微妙」というのがキーワードの一つになるように思う。
夜の灯りも「薄ら灯り」が「いき」になる。そこに生活の中の色気を感じることができる。
さらに顔の装い。これは薄化粧が「いき」の表現になる。江戸時代には京阪の女性は濃艶な厚化粧を好んでいたようだが、江戸ではそれを「野暮」として卑しんだそうである。
当時の世相評論家(?)も、「上方のごとく白粉べたべたと塗る事なく、至って薄く目立たぬをよしとす」としている。
髪型も略式が「いき」をあらわすことになる。文化文政期、正式には丸髷・島田髷だったらしいが、「いき」とされていたのは「銀杏髷」「楽屋結」などだったらしい。
 
どういう仕草に色気を感じるか。というか「力みのない自然体」の中に色気を見出し、それを「いき」として楽しんでい感がある。特に文化文政期の江戸大衆のパワーの源泉は、そうした生活スタイルにあったのかもしれない。

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