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ワクワクリベンジ読書のすすめ~『飛ぶ教室』エーリヒ・ケストナー著~
ドイツの児童文学小説であり、30以上の言語で翻訳されているとのこと。
児童文学でありながら、大人としても感じるところがある。作品を通じた強いメッセージ性は、ドイツの教養小説とされている『魔の山』によく似ていると感じた。
この作品の主張は以下にあらわされていると思う。
(引用はじめ)
落ち着いてさえいれば、大切な二つの特性を証明できる。つまり、勇気と知恵だ。(中略)勇気ある人々が知恵深く、知恵深い人たちが勇気を出したときようやく、これまでしばしば、まちがって使われてきたあの言い廻わし「人類の進歩」というものを感じとれるのではなかろうか。(新潮文庫P25)
(引用終わり)
子どもへの励ましの一方で、ひとつの人生訓でもあり、さらに言えば、戦時体制深まる世界、中でもナチス支配下への批判とも受け取られる。
その上で、ひとつ特徴を付け加えるとしたら、「仲間同士の絆」ではないだろうか。
作品の中にたびたび出てくる「も・ち・ろ・ん」という言葉。
訳者の池内紀氏によるファインプレーであるとも思う。
そもそもこの言葉の原語は「Eiserm(アイザァン)」とのこと。
最初は、英語の「of course(もちろん)」と同じ感覚で考えていたが、登場人物の中で頻繁に使われていることから、何らかの深い意味を持つ彼らの合言葉であると感じた。
ドイツ語Eisermは、「鉄の、鉄のような、強固な、しっかりした」という意味のようだ。
つまり、ここでいう「も・ち・ろ・ん」は「of course」よりももっと深い。「大丈夫だ。おれたちは仲間だ。しっかり理解しているよ」という考えが、その言葉に隠されているのだろう。
そう考えると、実業学校との争いでの戦術、『飛ぶ教室』というクリスマス劇をはじめとした日常的な仲間同士の関係性など、行間から伝わってくる子どもたちの強い思いを感じる。そこがこの作品の魅力を高めることにもなっていると思う。
さらには「道理先生と禁煙さん」の関係。何十年も会っていなくてもつながっている鉄のような強固な信頼感。これこそ「も・ち・ろ・ん」とあらわされるべきだろう。
訳者が変われば表現も異なる。それが海外文学を読む上でのひとつの面白さではあるが、池内氏以外の方の「Eiserm」はどのように翻訳されているのだろうか。興味深いところだ。
優しい表現の中にも、深い感銘と学びをうけた一冊であった。