落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『離合』川端康成著~
「離合」とは「離れることと合わさること。離れた理に一緒になったりすること」。
とても奇妙な作品ではあったが、まさにタイトルとおりだったと思う。
そもそも主人公・福島は娘・久子と遠く離れて暮らしていた。それが久子との婚姻の了解をもらうために訪ねてきた津田長男との出会いがきっかけで娘と再会する。
さらには、久子の部屋で離縁していた妻・明子と十年ぶりに会う。しかし、当の明子は実体ではなく霊魂。明子の実家からの連絡で福島は、明子との永遠の別れを実感した。
福島は黙って久子の部屋を出ていくが、おそらくこの後二度と久子と会うこともないように思う。
ほんの数日の間に起こった目まぐるしい出会いと別れ。
しかも終わりになるにしたがって、それは奇妙な形となる。
ここで川端康成は何を伝えたかったのだろうか。
その伏線となるのが「白いカーネーション」だと思う。
一般に白いカーネッションは、母の日において「亡くなった母親を偲ぶ」ものとされている。
しかし久子は「鬱陶しい天気だから、白い方がいいと思ったんです。お母さまのためなら、白いカアネエションは、母の死んだ人ということになっているんですもの」(新潮文庫P105)と語ったように、母・明子は生きているとの前提で部屋に飾っている。むしろ父との再会(できれば母との再会も)を喜び、白いカーネーションにあらわしていたようにも思う。
物理的・距離的に離れてはいても両親に対する愛や尊敬の念は変わらない、という久子の深い思いを託したのだろうか。
ちなみに白いカーネーションの花言葉は「私の愛情は生きている」である。
離れていても親に対する気持ちは変わらない。子は常に親に感謝している。
「白いカーネーション」の視点からこの作品をみると、そんなメッセージを感じた。
結果的に、久子の部屋に飾られた白いカーネーションは「亡くなった母親を偲ぶ」ものとなってしまった。このことも実に奇妙である。
「奇」が何重にも数えられる作品だった。