ワクワクリベンジ読書のすすめ~『トム・ソーヤの冒険』マーク・トウェイン著~
子ども時代を想起させる、微笑ましい作品だった。
子ども時代に男子なら誰もが抱く「冒険心」。実は子どもは冒険を通じて社会性を学んでいく。発達段階における重要な人生経験とでもいうべきか。
そんな過程を、トムとハックはじめトムを中心にした関わりから、楽しく描かれている。
印象的なのは、冒険のバージョンがどんどんバージョンアップしていくことにある。
それにともない、読者のワクワク感もどんどん高まっていく。
そもそも最初は「戦争ごっこ」(「恋愛ごっこ」もあったが)。
それが「海賊」となり、「山賊」となる。基本的に、海賊にしろ山賊にしろ、いわゆる「ごっこ」であるわけだが、その思いは大人である。特にトムにしろハックにしろ、回りから問題児的な見られ方をすることが多く、そんな中で世間をあっと言わせたいという気持ちが強かったようだ。
ただそれは決してドロップアウトを意味しているのではない。
「海賊が尊重する困難と危険という美徳」(新潮文庫P129)「海賊は、いつだって尊敬されるんだ」(P133)「海賊は女を殺さない--そんな下品なことはしない」(P135)や「時計や持物はとりあげるが、そのときでも帽子をぬいでていねいに口をきかなくちゃいけないんだ。山賊ってとても礼儀が正しいんだ」(P304)「山賊は海賊より、もっと高尚なんだ--一般的に言ってね。どこの国でも山賊といえば身分の高い貴族なんだ--公爵とか男爵とか、そういうのと同じなんだ」(P322)「(結団式は)たがいに助け合うこと、・・・団の秘密を洩らさないこと・・・そういう誓いを立てることだ」(P323)
むしろ、海賊や山賊として、組織の理念をうちたて共有しようとすることは、まさに大人社会の疑似体験をしているとは言えないだろうか。
冒険という名の「○○ごっこ」という遊び。
自分が子どもの頃の主流であった。仲間とつるんで、創意工夫しながら○○気分を楽しむという遊びである。そこには仲間同士のルールがある。そこである意味の社会性を学んできたように思う。
そう考えると、今日の子どもたちは気の毒である。また、彼らの将来に対する一抹の不安も感じる。
今井悠介著『体験格差』という書籍がある。所得格差による体験の差異。それが新たな貧困であるという内容である。この著書についての感想は改めるとして、もはや「○○ごっこ」は、大人がサポートする「体験」に変わりつつある。「子ども同士の○○ごっこ」という子どもの純粋性や創造性を大切にした遊びはどこへ行ってしまったのか。「遊び」の復権を求めたい。