不登校だった私が復学できた理由
この記事は、不登校のお子さんを持つ親御さんたちにぜひ読んで頂きたいです。
私は中学一年生の三学期から中学二年生の終わりまで不登校で、たまに登校することもありましたが、合計で約一年間分学校を欠席しました。
きっかけは冬休みにインフルエンザにかかり宿題を終わらせることができず、冬休み明けに放課後の補習教室に入れられたことです。
当時私は得意なこともないのにプライドだけが高く、補習のために部活動を休んだことを仲間や先輩に馬鹿にされ耐えられなくなりました。
そして、ある日仮病で学校を休んでしまいました。
すると、今度は学校を休んだことが学校に行きたくない理由になり、そのままずるずると不登校になってしまいました。
私の母はまずまっさきに私の学力について心配しました。なぜなら、精神が落ち着いて復学できても勉強が理由で再び学校に行きたくなくなる可能性があったからです。
不登校の生徒が真っ先についてけなくなる科目は数学と英語で、理由は授業の内容に連続性があるからです。ですから、たまに授業に出席してその回だけ頑張ろうとしても通用しません。
私の中学二年生の時の英語の先生はたまにしか登校しない私のことをよく褒めてくれました。そして、中学二年生の一年間分のドリルをやってくれば学校の授業に出なくても成績をつけてくれると私に言いました。
後で知ったのですが、これは私の母親が学校に足しげく通って教頭先生と交渉した結果でした。他の科目でも同じような措置が取られ、先生に褒められたい私はドリルに一生懸命取り組みました。
私は地元の市立中学に通っていましたが、母はかなり早い段階で中学校の授業計画が”すかすか”であることを見抜いていました。これは中学校において教科外活動が重視されているためです。
そのため、総合的な学習の時間や学校行事等を除いた純粋な座学の時間は意外と少ないのです。
実は公立中学校の英語と数学の授業は一週間にたった四時間ずつしかなく、真面目に家庭学習を行えばあっという間に追いつくことができます。
そのおかげで私は学校に行ってない期間も成績をつけてもらうことができ、学力が足りたので私立高校に進学できました。
このことは苦労して私をサポートしてくれた母と柔軟な対応をしてくださった先生方のおかげです。本当にありがとうございました。