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「余剰」な一人って感覚
余剰なるにんげんのわれも一人にて夕霧に頭より犯されゆけり
春日井建の歌集『未青年』に収められている「洪水伝説」の一節。
こちらの歌集を手に取ったことはないのだけれど,知人に教えてもらってふと触れた。
余剰なる人間。
自分もその一人。
余剰。
余剰であるものと,余剰でないものをどのように線引きされていて,自身を余剰側であると認識している感性とはどんなものだろうって。一節から世界が広がる言葉遣いに思う。たった数文字の組み合わせでエピソードを描けるってのは,言葉の優れたとこの一つだって。こういう時実感します。
世の中にとって,自分はどういうにんげんですかね。
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