3.11と大学生とリポビタンD
大学の卒業式が中止になった。
計画停電でバイトの予定も当日に決まり、
ガソリンスタンドには長蛇の列が続き、
テレビをつければACのCMが流れ、
何をするにも「自粛」が要請された。
非日常を前に、私達は無力だった。
そんなとき、大学生協連で震災ボランティアが募集された。4泊5日、仙台駅集合・解散で参加費5000円。
私達には、時間があった。
現地の状況など分からないため
前日に大量の水を買い込み、
夜行バスで仙台駅に向かう。
仙台駅の景色は思いの外騒がしく、日常だった。
駅前のヨドバシカメラは営業中、賑わっている。
そんな風景に慄いていたとき、重さに耐えかねたのか、同級生の持つビニール袋から2リットルのペットボトルが転がり落ちた。
慌てて皆で回収していると、
オシャレに着飾った高校生達の会話が聞こえる。
「なにあいつら?」
「ボランティアじゃね」
ボランティアじゃね・・・
なるほど、時期はもうゴールデンウィーク。
もう、ボランティアのニーズはないのかもしれない。
そう冷静に考えようとすればするほど、彼らのうざったそうな言葉はザラザラと耳に残った。
仙台駅からバスに乗り、宿泊所へ。
関東中の大勢の大学生が集まっていた。
初日の夜は、ボランティアのチーム決めの話し合いだった。
タスクは主に避難所支援と泥かきの二種類。
圧倒的に避難所支援に人気が集まり、なかなか決まらない。
彼らは何をしに来たのだろうか。
希望を譲らないメンバーの中に、友人も混ざっており目を逸らした。
チームが決まったのは22時を過ぎた頃だった。
翌日からさっそく、東松島市へバスで向かう。
担当となった野蒜という土地は、
広大で、茶色で、静かだった。
陸地のど真ん中に大きな船があった。
道路脇に追いやられているボロボロの車には
カラースプレーで「×」と記されてた。
生々しい被災地の光景に鳥肌が立つ。
すると、
「パシャ」
と音がした。
同じチームになった3年生の女子2人が、
船を背景に、キメ顔で自撮り写真を撮り出した。
彼女たちは、最後まで避難所を希望していた。
…胸糞悪い。
何か言ってやろうかと思ったが
やらない善よりやる偽善を前に、何もできなかった。
10時ごろに着いて、2時間ほど泥かき作業をし、1時間休憩。午後にはもう2時間作業。
これを四日間繰り返した。
土嚢袋のしばりかたはプロ級に上手くなった。
作業の内容はさまざま。
床下の泥をスコップでかき出したり、
浸水した玄関収納をきれいに水拭きしたり、
漬け物を作っていたビニールハウス内の腐った大根の処分をしたり。(正直一番きつかった)
そして毎回、各家庭のみなさんから、作業終わりにキットカットなどのちょっとしたお菓子を貰った。心付けのようだ。そんなのいいのに。
しかし、手伝ってもらいっぱなしというのは逆に辛いのかもしれない。昼に支給されるおにぎりだけでは腹を満たせない私達は、ありがたく受け取った。
最後に伺った家(漬け物のハウス)では、
「ごめんね、もうたくさんの子たちが来てくれてて、これしかないけど・・・。子どもできたら野蒜に連れてきなね。歓迎するからね」
と、ガサガサの手の東北弁のおばあちゃんから手渡されたのは、少し泥が着いたリポビタンDだった。
お礼を言いつつも、
若者の涙を見せないように下を向いた。
震災が憎い。
13年経ち、あの女子学生は二児の母となった。
きっともうおばあちゃんは覚えてないし、
私もどこにある家だったかは覚えていない。
それでも、毎年、思い出す。
あのおばあちゃんは元気だろうか。
無謀でも、野蒜にはいつか子供達を連れて遊びに行きたいと思う。
おしまい