おひとりさまというご褒美と罪悪感
非日常体験こそ、家族との関係性のちょうどいいバランスのとり方が見つけられるかもしれない、という話をします。
あんなにも育休中の孤独が辛くて、それを解決するために、夫婦間のコミュニケーションサービスを開発するに至ったにも関わらず、今は「孤独になりたい」なんて思ってます。だって人間だもの!
子ども達からの「ママー!ママー!みてみてー!」の絶え間ない要求。ええ、かわいいですよ。けれども150回/時で言われると気が狂います。
てことで!夫に子どもたちを託し、行ってきました!!!
\アパホテル♪/
ふりかえるとこんな感じ。
自由最高
しかし寝るときめっちゃさみしい
家に早く帰りたいような帰りたくないような
帰宅してからの子どもたちへの愛情が半端ない、永遠と抱っこできる
夫との会話が弾む
まあいろいろ感じるものはありましたが、今回特に取り上げたいのが「罪悪感」です。事の発端はヤクルトシャワー事件でした。
わたしの不在中、重力というものを知らない2才児は、入浴直後に寝っ転がりながら飲もうとしたヤクルトを顔面に浴び、やっっっと一息つけたばかりの夫からブチギレられたようです。
見たこともない父親の様子に固まり(「解離」ですね。心と体のスイッチオフ)、その後大泣き。しばらく口もきいてくれなかったこともあり、夫はずっと引きずり自己嫌悪だったようです。
あれ・・・あなたは・・・わたし・・・?
「やっとわたしの辛さ、わかってくれたのね~」という、共感してもらえるよろこびを感じる一方で、「夫の自己嫌悪」と「ワンオペ環境」に罪悪感を感じました。
まず、「夫の自己嫌悪」。
する必要のない経験(感情的に子どもにしかりつけ、自己嫌悪に陥ること)を夫にさせてしまったのではないかという考えです。ですがね、これ、冷静に考えれば、そんなのわたしのコントロールする範疇ではなくってですね。夫は夫。わたしが罪悪感を感じる必要はありません。はい考察終了。
後者の「ワンオペ環境」はですね、やはり罪悪感をしっかり感じました。すべての元凶はわたしのわがままによるものなので。これはやはり辛い。申し訳なかったです。ただし、この要因は「常時ママが主たる保育者となるべき」といった呪いによるものではなく、純粋に「ワンオペって大変。大人はいればいるだけ余裕ができていい」という自分の経験値からくるもの。
なので、ワンオペ環境はなるべく作らないようにしよう!…と結論付けるのはやはり安直で、わたしのニーズを無視せず、しっかり「孤独」になって息抜きする時間も必要だったんですよね。
子育てって、自分のニーズと家族のニーズのバランスをうろうろしながら、孤独、自由、愛、そして罪悪感といったさまざまな感情が複雑に絡み合っているんですよね。
育児中の罪悪感は避けがたいですけど、楽になれる向き合い方もあるんだと思いました。反射的に生まれた罪悪感が全て正当化されるものじゃないと気づければ、子育てをより豊かな時間に出来るのかもなと。
結局、個人のニーズと家族との関係性の間でちょうどいいバランスを見つけることはすごく難しい。ですけど、非日常にあえて挑戦することで少しずつ見えてくるのだと思いました。
おしまい
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