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幼少の頃から運動を避け続けてきた私が、週二でジム通いを始めるまで。

自分の人生を振り返ると、「あの時ああしていれば…」と思うことは、たくさんあります。

プリクラばかり撮らずにもっと勉強して東大に入っていたら…とか、大学時代テニサーに入っていれば…とか、眩しすぎて一言も話しかけられなかったカレに告白していたら…とか、タラレバは尽きません。

つい後悔ばかりが目立ってしまいますが、逆に「あの時あの選択をして良かった」と思えることも、少なからずあります。

私にとって、その一つが「筋トレ」です。

現在、週二回のジム通いを続けている私ですが、筋トレを楽しいと思ったことはなく、昔から今に至るまで一貫して運動は大嫌いです。
そんな私がなぜ筋トレを始めるに至り、どのようにして続けてきたのか、今回も長文でお届けします。


■ できるだけ動かず生きてきた青春時代

私は生粋のインドア派です。

もちろん、一番嫌いな授業は体育でした。
足は遅いし、ボールを投げても思い通りに飛んでいかないし、スポーツ番組は全く観ないからルールも分からない。

サッカーの授業で試合に放り込まれたものの、どうしたらいいか分からず突っ立っていたら、同級生に「あがれあがれ!」と言われ、「上がるって、どこに?」と首をかしげながら空を見上げたら、その同級生に「上じゃねえよ!」と罵倒された、そんなレベルです。
「あがる」は「ゴールの方向に進む」という意味だということを、その時はじめて知りました。

こんな状態でしたから、小学校の休み時間はいつも図書室。
中学・高校時代の部活は吹奏楽部。
大学では華やかな学生生活に憧れ「テニスをしないテニサー」で大学デビューをするつもりでしたが、キラキラオーラの結界で跳ね返され、結局スポーツとは何の縁もない英語ディベートサークルに。

こんな感じで、私は常にインドアの道を選んできました。
なお、運動に対しては苦手意識だけでなく、運動が得意な人への強い偏見と深い嫉妬を持ち合わせていたことも書き添えたいと思います。

学生時代は、サッカーや野球などの人気運動部の男子に冷たい視線を送り、人気運動部の女子マネージャーに対しては、さらに強い敵意を持っていました。

今にして思えば、間違いなく、あれは羨ましさの裏返しです。
試合前に手作りのお守りを準備し、試合当日は選手たちを黄色い声で応援し、レモンのはちみつ漬けを振舞う、そんな姿に憧れを抱いていたのだと思います。はい、マンガの見過ぎです。

なお、この日陰的発想は社会人になっても変わりませんでした。

新卒入社した会社で、独身寮に住む同期男子たちに筋トレブームが到来した時も、「筋トレする暇があるなら、語学や資格の勉強でもしてはいかが?」と冷ややかな目で見ていました。もちろん私は語学の勉強なんて一ミリもしませんでした。

その後、ある事実が発覚し、「大人になっても運動はしない」という確固たる意志を持つこととなります。

それは、今の夫と付き合いだした23歳の頃。
あまりに体を動かさない私を見かねた彼から、デートを兼ねたランニングに誘われました。
「いや、ランニング用の服も靴もないから無理」と断ったところ、週末にアウトレットに連れて行かれ、服やら靴やらを一式揃えられました。

ここまで来たらもう逃げられない、ついに私も運動に初挑戦か。
ダイエットにもなりそうだし、可愛いウェアを着るのは確かにテンションが上がるから、まあいいか。

そんな気持ちで走り始めると、土踏まずに痛みが走りました。

「運動不足だからしょうがないね~」なんて言いながら、特に気にせず走りましたが、翌日になると、痛みが更に悪化。

さすがの運動音痴の私でも察しました。

「これ、筋肉痛とかそういう痛みじゃないわ」

病院でレントゲンを撮り、先生から言われた衝撃の一言。

あなたは、普通の人より骨が一本多いんです。その骨が靴に当たって痛みが生じています」

その骨は、約15%の人に見られる「外脛骨」という過剰骨だそうで、多くの人は学生時代の運動をきっかけに気づくものの、私は運動しない人生を送ってきたので23歳になるまで全く気づきませんでした。

普通は残念に思うところですが、私は"しめた!"と思いました。

これで一生、運動しないで済む。
全身ピンクのウェアとシューズはもったいないけど、運動不足をとがめられたら

「私は普通の人より骨が多いから、運動ができないの~!本当はしたいんだけどね。だからスポッチャにも行けないんだ、ごめんね~!」

と言えばいい。
私は最強の免罪符を手に入れました。

■ 突如訪れた「運動に向き合わざるを得ないとき」

ところが、運動と向き合わざるを得ない瞬間は突然やってきました。

それは、出産です。

産後は体が弱くなると聞いていましたが、自分も出産を経てびっくりするほど体力がなくなり、焦りました。

秋の夜、授乳で泣く子どもを抱いた瞬間。
ふと、「私はこの子が大きくなるまで、健康でいられるのだろうか」と思い、涙が止まらなくなりました。

はい、ただの産後のホルモン異常です。

運動経験ゼロということは、つまり、筋肉もないということ。
このままだと私、老後、歩けなくなるかもしれない。

「運動…やるしかないか…」

この真夜中の一人号泣がきっかけで、自分がどこまでも避けてきた「運動」に、とうとう向き合うこととなりました。

■ 運動ゼロからいきなりのパーソナルトレーニング

いざ運動を始めるといっても、何をどうやって始めたら良いのか、さっぱり分かりません。友人に相談してみたところ、「オンラインのパーソナルトレーニング事業に取り組んでる知人がいる」ということで、紹介してもらうことに。

今でこそ一般的になったオンラインパーソナルですが、当時は2019年のコロナ前。「遠隔でトレーニングなんてできるの?」と正直疑っていましたが、トレーナーと呼ばれる人たちと対面すること自体が恐怖な私にとっては、渡りに船でした。

友人いわく、そのトレーナーさんは、

「スポーツモデルの世界コンテストで優勝した経験もあるし、自分が今まで出会った中で一番美しい体」

らしい。

「スポーツモデル」という単語に聞き覚えがなかったので、ググってみると…


「うわあああああ一番苦手なタイプきたあああああああああ」

調べてみると、スポーツモデルは「全身の造形美を競う。適度な筋量が有り、しっかりシェイプされた体、ステージングを含めモデルらしいトータ ルの美しさを追求する競技」と書いてありました。

この筋量は「適度」なの?
「シェイプ」って書いてあるけど、どう見てもムキムキでは?

私の知っているモデルは、メンズノンノに出てくるような人なんですけど。

無理だ、やっぱりやめようと思いました。しかし、友人にお願いした手前、いまさら断れない。

こうして私は、先生への警戒心マックスの状態で、オンラインのパーソナルトレーニングを始めたのです。

■ 見た目も中身も苦手すぎる先生

その先生のレッスンは、週に1度、30分間のビデオ通話で指示を受けながらトレーニングしたり、アドバイスをもらうというものでした。

緊張の初回。
恐る恐る通話ボタンを押すと、「こんにちは!トレーナーの〇〇です、よろしくお願いします!!」

まず、声がでかい。

なんでムキムキな人って声でかいの?やっぱり自信があるから?

事前の警戒度が100だとすると、先生のこの挨拶で、警戒度は1,000に急上昇。
先生はモデルというだけあって端正な顔つきで、カメラ越しでもわかるほど筋骨隆々なお姿。

そして先生は、やたらとポジティブでした。

「筋トレは、やって悪いことなんて何一つありませんよ!」

はい、警戒度100,000,000。

初回の30分は会話だけで終わり、「先生とは一生仲良くなれないわ」という思いを固めて幕を閉じました。

■ トレーニングなのにトレーニングをしない半年間

あっという間に、二回目のトレーニング日。

自分から望んでお金を払っているのにも関わらず、「一体どんな筋トレをやらされるんだ」と、すでにどこまでも後ろ向きになっていました。

しかし、二回目のトレーニングでも、筋トレはしませんでした。
というか、最初の半年は、まともに筋トレしませんでした。

オンライン「トレーニング」なのに。

代わりに半年間かけて教わったのは、「栄養」と「マインドセット」でした。

当時の私の食生活は、朝食は摂らない、夜中におやつを爆食い、夕食の時間はいつもバラバラ、野菜は好きだけどお肉やお魚は全然食べない、という感じでした。

先生と話をする中でわかってきたのが、私には「全般的に栄養が足りていない。中でもタンパク質が圧倒的に足りていない」ということでした。

そのため最初の教えは、「朝ごはんを食べましょう」でした

先生に食事をチェックしてもらうため、インスタの専用アカウントを作り、食事の写真をアップするようになりました。

ご飯を炊いて朝ごはんを食べること自体が久しぶりだったので、「栄養たっぷりの朝食ですよ!褒めて!」と言わんばかりのテンションで写真をアップ。

すると、なぜか先生から「タンパク質!」というコメントがつきました。

最初は「タンパク質をたくさん摂っていて偉い」という意味でのビックリマークなのかと思いましたが、どうも違う気がする。

「お米200gも食べてるんだから、タンパク質たっぷりでしょ!」と憤慨しつつ、なんかおかしいと思って調べると、

お米はタンパク質じゃなくて炭水化物でした。

私の栄養知識はそのレベルだったのです。

この一件以来、先生から「三大栄養素とは」みたいな栄養学の授業をされ、例えば「油は脂質。とりすぎると太るけど、足りないのもダメ。そして量だけじゃなく質も大事。例えばオリーブオイルを…」といった講義が毎週続きました。

あれ、トレーニングは?

栄養の授業と並行して教えられたのが、「マインドセット」でした。先生はものすごく長い時間をかけて、私の運動に対する偏見を取り除こうとしたのです。

例えば、ある日の宿題は「自分が素敵だと思う体のモデルや女優を、インスタで探してきてください」というものでした。

そしてその写真を見ながら「この人は、体のこの部分のラインがこうなっているから美しく見えるんです。ちなみにその筋肉の仕組みは…」と、今度は解剖学の講義が始まりました。

そして先生は、「この人たちのように筋肉がついてくると、自然と周囲に見せたくなりますよ!」と言いました。

私は「はぁ、そうかもしれませんね。今は冬だから見せられないですね」と答えたところ、先生は

「僕は、冬でもダウンジャケットの下はタンクトップですよ!」

と言い放ちました。

それ、新たな変態じゃん。

こうしてじっくり時間をかけて、私は「最低限の栄養を摂取し、筋肉がつく準備のできた体を作ること」「筋トレに前向きに取り組むマインド」の二つを手に入れたのです。

■ ついに開始したトレーニング。これ、トレーニング…?

半年の準備期間を経て、ついにトレーニングが始まりました。

最初に教えてもらったのは、「台所に立っている間はつま先立ちになるトレーニング」でした。

これはトレーニング…なのか?

半信半疑で始めるものの「気づいたら台所でつま先立ちになってました」と言うと、先生は「素晴らしい!」とベタ褒めしてくれます。

大人になってから褒められることなんてないので、素直に嬉しい。というか、素直に「嬉しい」と思えるくらいに、運動への苦手感情が薄まってきていました

台所でのつま先立ちを皮切りに、今度は階段をのぼるとき、次は電車の中で…と徐々につま先立ちトレーニングの場所が増えていき、習慣化していきました。
そしていよいよ、一般的な「筋トレ」への挑戦が始まったのです。

先生から口を酸っぱくして言われたのは

「腕を上げるとか、下げるとか、"動作"で考えてはいけません!」
「どの筋肉を伸ばすのか、縮めるのか、そこを意識するんです!」

ということでした。
ただ回数をこなすのではなく、「自分がどこの筋肉をどうしたいのか」に全集中しろと言われ続けました。

この頃から、私は気づき始めました。

筋トレって、めっちゃ頭使うじゃん。

「私が思っていた筋トレと全然違う…」と思うと同時に、先生に言われる通りに必死にやっていると、なんか腕のたるみが減ったような、おなか周りがシュッとしてきたような。
少しずつではありますが、体は確実に変わってきたのです。

■「やらされ」から「自分でやるもの」にかわる

筋トレの習慣化に伴い、私の中で2つの大きな意識変革がありました。

①プロテインを飲むようになった

「プロテインなんて脳ミソ筋肉野郎の飲み物」と馬鹿にしていたかつての私はどこへやら。食事だけで充分なタンパク質を摂り続けるのが難しく、プロテインを頼りました。

プロテインの味が苦手でえずきながら飲む日々でしたが、先生に「ピーチティー味のプロテインにカットパイナップルを混ぜるとおいしい」などの裏技を教えてもらい、何とか飲めるようになりました。

それから各メーカーが出している様々なプロテインを試すようになり、他にもアーモンドミルクやオートミールなど、かつての自分では絶対に手に取らないまま一生を終えたであろう食べ物を知るきっかけをつくってくれたのも、先生でした。

②筋トレノートを作った

「何の種目を何回やったか」という記録に加え、「このトレーニングはこの部位を鍛えるもの」「この部分が縮んで伸びて」といった、先生から学んだ理論を書き留めるための筋トレノートを作成しました。

この頃になると、先生との会話は「XXというトレーニングをしているが、XX筋にうまく入らない。どの動きが悪いのか」という具体的な話になり、その場で先生に動きを見てもらい修正するようになるなど、以前とは全く異なる時間になりました。

先生にお世話になり始めて三年が経ったある日、先生から「これ以上は、自重じゃ厳しいかもしれません!」と言われました。

自重で鍛えられる部分には限度があるため、ダンベルやチューブなどの器具を使っていましたが、これ以上筋トレグッズを増やすスペースは、我が家にはありませんでした。

■ ジム通いの始まりと独り立ち

「自重での限界」。これはつまり、ジムに行くしかない、ということです。

でも、余計にお金がかかるし、移動も面倒だし、"ジムの主"みたいな人がいたら怖いし…

筋トレへの抵抗は無くなったとはいえ、やはり自分にとってジム通いはハードルが高く、ひとまず近所にある市営のスポーツセンター(1回300円)に通うことにしました。

そして、数か月間のスポーツセンター通いを経て、ついにジムデビューを果たしました。

普通の人には何てことない出来事ですが、私の中では大きな一歩。
もし老後に自分史を作ることになったら、「2024年 ジム通い開始」と書くくらいの誇らしい出来事です。

その反面、困ったことが。
トレーニング場所が自宅からジムに移ったことで、先生からカメラ越しにフォームのアドバイスをもらうことや撮影した動画の共有が難しくなり、オンライントレーニングでは、得たいものが得られなくなってしまいました。

ついに、先生との別れの時がやってきたのです。

今まで本当にお世話になったので、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら「こういう理由で解約したいです」と伝えると、先生はとても喜んでくれました。

なぜなら、先生はずっと言っていたのです。

「僕の目標は、生徒さんが、僕が毎週チェックしなくても一人でできるようになることです」

「ナミキさん、ついに独り立ちですね。おめでとうございます!」

■ 筋トレで変わったこと

こうして、今も週二のジム通いを続けています。

残念ながら、元気ハツラツなポジティブキャラになれたわけではないし、「みんな、私の鍛えた肉体を見て!」と思えるマインドには至っていません。

でも、大きく変わったことがふたつ。

ひとつはもちろん体です。
今まで運動経験ゼロだったゆえに、見た目にも筋力的にも筋肉が増えていることが実感できました。

でも、一番変わったのは、運動している人を尊敬するようになったことです。

過去の私は運動に励む人たちを見ては「もう少し頭を使ってみてはいかが?」と馬鹿にしていましたが、とんでもない。

技術やトレーニングについてはもちろん、食事や睡眠といった生活面に至るまで、考えなければならないことがたくさんあり、頭まで筋肉だと思っていた人たちは、実はめちゃくちゃ頭脳派でした。

学生時代のサッカー部や野球部の男子たち、ほんとごめん。勉強もしながら放課後や休日まで運動してたなんて、すごいよ。

あと、怖いと思っていたスポーツモデルの方たち、ごめんなさい。その体はきつい筋トレとしんどい食事制限と強い意志の賜物だということが、今ならわかります。

私は今でも、運動は嫌い。
やらなくても健康でいられるなら、本当はやりたくない。

でも、運動をしている人たちのことは、嫌いじゃなくなった。いや、むしろ、めちゃくちゃかっこいい。

私はやっと運動と和解して、素直な気持ちで、あなたたちに憧れることができています。

そして、自分の老後が楽しみでもあります。
ムキムキばあちゃんになるぞ。


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