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本質は「違和感」の向う側にある

みなさま、こんにちは。

3月に入り、春を感じて気分がウキウキとする中で、今月は仕事のことや、来月までの諸々の予定のことでフル稼働しておりまして、少しばかり緊張状態が続いています。

こういうときこそ、健康面!

睡眠時間は6~7時間は確保して、ストレスを溜めないように家族に話し相手になってもらい、ゆるい運動も心がけて過ごしています。

左頬に10年ぶりくらいに大きな吹き出物ができましたけれど(笑)、心身ともに自分のコンディションは、まずまずの状態でやっています♫

花粉症でつらい思いをされている方もいらっしゃるでしょうね。私も花粉症ですが、お互いになんとか春を乗り切れますように!

ちょうど昨日、全神経を集中させて書いていた新刊の原稿を書き終えました。

今回の新刊のテーマが決まってから、本の内容や構成については、実は今までの著書の中で最も苦しく悩みました。

私自身が、どのようにテーマを捉えているか、落とし所はどうすべきなのか、納得のいく答えが浮かんでは「違う」、浮かんでは「弱い」というふうにして、なかなか定まらなかったのです。

そういうときは、「違和感」を探しに話を聞いたり活字を読むことにしています。今回も、最終的に快活に本を書き進められたのは、この方法の影響が大きかったです。

それでは、「違和感」を探す意味を説明します。

「共感」を探しにいくのではなく、最初から「違和感」を見つけるために、人の話を聞いたり活字を読むことで、「私だったら○○だと思う」「○○という表現のほうがやわらかいな~」「そこは個性と関係なくて○○なはず」などと、自分の考えを掘り下げてアプローチしやすくなるからです。

これは、批判とは違います。

批判はとても短絡的で、「これは嫌い」「面白くない」といったひとことで済ませようとしがちで、思考を表面的にしか使っていない気がします。

批判の先の自分の考えを見出せれば良いですが、私は「違和感」つまり、自分と相手の差を見つけることが、考えの本質に到達できる唯一の方法だと思っています。

「違和感」の向こう側には、正直な自分や、恥ずかしい自分、さらには、本当はやってみたいと感じていることまで、様々なものが見えてきます。

本を書くことで(noteも然り)、いつもそうした自分の奥底にある考えを探り当てる作業を続けています。

それによるメリットは何でしょう。

感謝と感動に気づける場面を、より増やせることかもしれません。

「話を聞かせてくれてありがとう」「文章を書いてくれてありがとう」「話を聞いてくれてありがとう」「伝えたい言葉を見つけられて嬉しい」「執筆に集中できるのは家族のおかげだ」などなど。

そういう場面が増えれば増えるほど、想像力の幅が少しずつ広がっていくことも感じます。

そんなわけで、今は編集者さんからの反応にドキドキしながら、次はゲラ(編集者さん内容をチェックし、実際の本のレイアウト上に文章を落とし込む)を待つことにします^^

またnoteでお会いしましょう♫

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