最遅!文学フリマ東京38に参加して【後半】
文学フリマ東京、初参加の振り返り(最遅)です。前半の記事はここから読めます👇
https://note.com/preview/n4ad10f673dcd?prev_access_key=21fc387f02158fd36bc577e5fd716f65
在庫の半分が売れる
開場して1時間が経ち、イベント会場も大賑わいに。
みなさん、入場者特典のバッグを小脇に抱え、思い思いの本を手に取って、充実した表情でブースを回っています。目当てのブース以外も覗いてみよう、という人が増えてきたのか、その流れでミモザブックスのブースに立ち寄ってくださる方も。
ちょっとずつちょっとずつ、でも確実に、本が手元から旅立っていきます。そうこうしているうちに時は流れ、13時を過ぎる頃には、な、なんと!!!!
用意した分の、半数がはけているではありませんか。
ミモザブックスさんからも「こざわさん、これ完売できますよ!」などと言われ、「いやいや、まあまあ……」と謙遜するそぶりを見せるも、心の奥底では『ぶっちゃけ、こうなったら完売したい……』などと思い始める始末。人の欲望は、底なしです。
とはいえ、「在庫の半分を売る」が今回自分に課した最低ラインだったので、なんとかその目標は達成できたことになります。正直言って、予想外の売れ行きです。
わっほ〜〜〜い!!!!(歓喜の踊りを乱れ舞う私)
この人誰ですか?
ブースが閑古鳥にならずに済んだのは、前の記事で挙げたような古参の読者の方や、私の本を読んだことがあるという奇特な方がブースに足を運んでくれたことももちろんですが、ここでもうひとつ大事な存在が。
『この人の本とか知らん、ふだん何書いてるのかも全然知らんけど、とりあえず本を手に取ってくれた勢』の皆様……!
私の商業作家としての活動なんかまったく知らず、本の装幀や目次、自作のPOPを読み込んで興味を持ってくれた方が、予想を越えて何人もいらっしゃったのが印象的でした。
例えばこちら、同人誌と一緒に販売した『教室のゴルディロックスゾーン』のPOP。
なにより本の装幀、勇気を出してやってみてよかった…!
最初の方こそ「ア…ソレ、ゼンブテヅクリデ…」という感じでおずおずと切り出していたのですが、『自分で表紙を描いた』とか『ホチキスでパチパチ留めてる』と伝えると興味を持ってもらえる、とわかってからは「あのそれ、ぜんっっっぶ自分で描いて!!!切って、折って、綴じて!!!!」と全力でアピールするようになりました。
私は東北の田舎町の、ちょ〜〜〜小さな集落に生まれ、子どもの頃から「自分のやったことを自分でやったと声高に言うな」「自分、自分を主張するのはみっともないぞ」と骨の髄まで叩き込まれて育ったのですが、今後はその教育にはっきりとNOを訴えていきたいです。
声高、とても大事……!
自分のやったこと、自分でやりましたと大声で言っていくべき。
胸を張ってそう言えるからこそ、とてもすんなり、『この人が本を手に取ってくれたのは、私がこの本を作ったからだ』と思うことができました。これは、普段の仕事ではあまり体験することのない感覚です。
本を売る、ということ
そもそも商業で本を出すって、作家にはアンコントロールな部分も大きいというか。「本を商品にするまで」のことにはある程度関わりを持てるけど、「商品を売り出す」ことには、そこまで多く携われない。というか、携わってもあまり力になれない!
そのせいなのか、自分の本の評判を聞いたり、多少売れ行きがよかったとしても、「帯も装幀も豪華だったもんなあ」とか「担当編集さんや営業部の人が売り込みがんばってくれたんだろうな」とか、「書店さんに感謝だな〜」と思うことはあれど、自分の仕事が何かを成し遂げた、みたいなことは思わないんですよね(あくまでも私の場合です)。
でも今回は、普段他人に託している仕事の大部分、つまり「今までアンコントロールだった領域」のほとんどに、主体的に取り組むことができました。原稿の最終チェック、印刷、製本、本の装幀、告知文の作成、宣伝のタイミング、SNSの運用、当日のブース周り、POPなどなど。本の中身のみならず、本の外見や売り方も、自分の意思で決めることができた。本を売るために何をして、何をしないのか。すべてが私の独断と偏見です。同人誌総合プロデューサー兼総責任者・こざわと言ったところでしょうか。
これが失敗しても、本が売れ残っても、すべて自分で責任を取ることができる。
同人誌という本の特性上、自分以外に自分の本を売りたいと思ってくれる人はいないし、思ってもらう必要もない、という状況がよかったのだと思います。
結果、ブースで本を手に取ってもらえたことについて、疑う余地なく『これは自分の仕事だ』と思えました。というか、ずっと前から私の仕事は私の仕事だったし、私の本は私の本だったのだと思います。なんでそんな当たり前のことに気づけなかったのか。そして、たくさんの大人達が関わって本が世に出ている以上、私の本はやっぱりその人達の仕事でもあるんだよなー。これも当たり前のことだけど、そう考えるとなんか不思議……。
ついに、その瞬間が
と言うようなことをつらつら考えているうちに、時刻は15時をまわり、残り部数は3セット。
残り部数は3セット!?
嬉しくてTwitter(X)にもつぶやきました。興奮しすぎて日本語が変。
めっちゃはしゃいどる……。
そうこうしているうち最後の1セットも売れて、用意した同人誌はすべてが人手にわたり……。
まさかの、完売です!
イベント終了!
17時を過ぎ、一般入場者の方々の退場を終えて、無事イベント終了のアナウンスが。
例によって、ミモザブックスさんが手際よくブースの片付けを主導してくださったおかげで、三十分もしないうちに撤収の準備が完了しました。
ここまで、ちょっとしつこいくらい全部自分でやった、自分で選んで自分で決めた、と繰り返してしまったのですが、今回私が本周りのことに集中できたのは、それ以外のこと(主に事務的なこと)を出店主であるミモザブックスさんがカバーしてくれたおかげです。
運営とのやり取りから当日の受付周り、設営と撤収など、サポートしてくれたミモザブックスのみなさまには感謝しかありません。本当にありがとうございました。
最後に会場で借りた什器を返して、出たゴミを片付け、自分の荷物をまとめて……。
本当にすべてが終了です。名残惜しくも、東京流通センター(TRC)を後にすることに。
この後打ち上げでもしましょう、と言われて初めて気づいたのですが、そういえば今日、朝から何も食べてない!そりゃへとへとにもなるわ〜!
その日、浜松町で飲んだ一口目のビールが、体に染み渡るようでした。
おわりに
私が生まれて初めて出店者側として参加した「文学フリマ東京38」は、このようにして無事幕を下ろしたわけです。
今回の参加を通して、思ったことがひとつあります。
この先はもう、なんだかよくわからない謎概念"出版界"に向けて書くのはやめよう、ということ。
「傑作書きてえ〜〜〜(ベッドに寝転がりながら、Twitter(X)で知らない誰かと誰かの論争を眺めている)」とかやってる場合じゃないな、と思ったのです。
私はさっき、作家は本を商品として売り出すことについてアンコントロールな部分が多い、と書いたけど、当然と言えば当然のことです。そもそも、売れるかどうかがアンコントロールだし。
だからこそ、どの商品にどの程度の予算をかけ、人手を割くかは、その作品の質はもちろん、作家の過去の実績や将来性など、様々な要素によって査定(という言葉はふさわしくないかもしれないけど、あえて使います)されるわけですが、その時点ですでに作家は評価に晒されています。
作家は版元からの評価に晒され、本が世に出たあとは読者の評価に晒されるという、最低でも二度の評価に耐える必要があるのだと思います。
一回目の査定でうっかり低い評価を受けてしまった場合、二回目の査定で売れる可能性は格段に低くなります。すると、まずはなんとしてでも一回目の査定をクリアしなければならない、それも、できる限り高い水準で、という方向に気持ちが傾いていく。
でも、本当にそれでいいのかな……。
私が以前noteで書いたような、傑作を書きたい、という気持ちも、この辺のもやもやから始まっているような気がします。
結局はその気持ちって、
(傑作を書いて)編集者に褒められたい、
営業部や宣伝部の人に「この本を売る」と思わせたい、
宣伝費をかける価値のある本だと認めてほしい、
同業者に一目置かれたい、
書評家にも取り上げられたい、
ついでにメディアにも取り上げられたい、
書店員さんの感想がほしい、できたらたくさんほしい、
いっぱい発注されたい、
とにかく重版したい、
そうじゃないと本が売れない、
本が売れないといつか仕事がなくなってしまう。
というような、なんかちょっともう、両手で顔を覆って「わーーーーっっっ!!!」と叫び出したくなるくらい、自分本意な欲求に由来するもので。
そこに、読者は、おるんか?
ということを、今回改めて思ったわけです。
そもそも私の言う謎概念って、本当に謎の概念なのか。
編集者も同業者も営業部や宣伝部の人も書評家も書店員さんも、出版界の人達であると同時に、読者の一員でもあるんじゃないのか。私は読者の人達に、本を読んだらもっと自分を取り上げてほしいとか、売ると思わせたいとか、価値を認めさせたいとか、感想がほしいとか、そんな風に思っているんだろうか。それって、むちゃくちゃ傲慢な考えじゃないだろうか。
もちろん売れたいものは売れたいし、自分の書いた小説で稼いだお金が欲しい。
商業の世界でやっていく以上、そういう気持ちは今後も絶え間なく湧いてくると思うし、ゼロ100でなくすべきとも思わないけど、その気持ちばかりが先走り、色々見失って(ここ数年、マジで色々見失っていた)書けなくなってしまうくらいなら、あの日ブースに来てくれた人達のことや、ブースに来れなくても私が書いたものを大事に思ってくれているだろう人達のことを思い出して、その人達に恥じないものを書いていきたいです。
今後も書き続けていけるように。
その人達に対しては、なんの見返りも求めずに書けるような気がしているのです。
だって、もう貰っちゃってるからね!
というお話でした。
今の私がこんな風に思っているということを、未来の私が忘れないでいてくれるといいな。
おわり。
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