書くことで供養する。
『自己肯定感の低い人は他罰的な人を引き寄せやすい』
的な内容のツイートを同時多発的に目にした。
そ、そうか…
薄々気付いていたけど、やっぱりそうなのか…
もっと正確に書くなら
「他罰的 (ハラスメント系?)の人達が自己肯定感の低い人を嗅ぎつけて近付く」
んだろうけど。
もはやこうなってくると、卵が先か鶏が先かの議論になってくるのだけど、
そもそも、自己肯定感が低くなければ寄ってこないので、ほぼイコールであると私は考えている。
もうそういうパターン
(他罰的な人たちにフルボッコにされて、ボロ雑巾のように「うう…自分くらい自分を大事にしよう」と決心する→すぐ忘れる(決心してないじゃん))
終わりにしたいんだけど…!
と思っているのに、慣れ親しんだ古巣は居心地が良いのか、意図せずいつの間にか『自己肯定感の低いわたし』に戻ってきてしまう。
あとは随分前に
「どんなに優しい草食系男子も、自己肯定感低いこじらせ女と付き合うと攻撃的になる」
みたいなツイートもどこかで見て、
「わたし?わたしのことなの!?」
ってなった記憶もあり。
そのうち子供まで
「じぶんきらい」
と言い出して、このままではいかん、本腰入れてなんとかしようと思った。
元を正せば、こういう解決思考が新たな問題を作っている、のだけど。
さすがに自分の子には自分スキーでいて欲しいので
『私の在り方を改造したい。』
ちなみに自己肯定感を上げるための本とかは散々読みました。
内容に納得して理解もするんだけど、なかなか浸透しない、という感じ。
そこで、対策を考えた。
・自己肯定感が上がるまで、究極の超他人事にしてしまって、自分を俯瞰の視点で観察するよう意識してみる。
・書いて供養する。
・究極の超他人事にする
私の場合、子供の頃に親から言われたことを親から離れた今も、自分で言ってしまってる。
一日に何回も忘れ物をするし、ものはよく無くすし、整理整頓は苦手だし。ミスも良くする。
その度に脳内で、
「またか」「何やってんだよ」「なぜ再発防止策を考えないのか?」「ほんとダメな子ねー」
と10分以上はやってると思う。そして落ち込む。
他にもよく出来たこと、人の役に立ったことはすぐ忘れるけど、
失言したこと、失敗したこと、とかは次の日までも余裕で覚えている。
こういうとこやぞ…
ってことで、やめます。
どうやってやめるかといえば、
いつもの自己否定パターンになるはやで気付く
↓
止める
の繰り返し。
ミスとか失言も、1回反省したら、おしまいにして、他人事にしてしまう。
自分事として抱えて持ち続けてるから、自己否定が止まらないのかなと。
「もう!自分バカバカ!」
が出てきたら視点のベクトルを意識的に上げてみる。
自分のミスだから許せないけど、人のミスだと思ったら案外許せるかも?
「落ち込む暇があったら反省しろ」
「何回同じこと言ったら分かるんだ?」
とか呪いの言葉をずっと幼少期から大人になっても上司や元配偶者に言われ続けたので、
そうあらないとダメ人間になるんじゃないか、という恐れもあったけど、実は逆なんじゃない?と。
子供を見ていて思った。
・書いて供養する
これはそのまま。
今は子供と二人暮し。
前回の記事で書いたようにママ友もおらず、親とも今はトラブルがあってからなるべく会わないようにしていて、仕事も在宅なので、日常的にほとんど大人と話すことがない。
話す能力、書く瞬発力が落ちたなーと感じる。
昔は、仕事で散々書いてきた。
計画書、年次報告書、最終報告書、プログレスレポート、学会の要旨、依頼の原稿、論文、ビジネスメールも一日に何通も書き、英語のメール書くのにも一通に何十分もかけていられない。
作文が苦手で理系に来たものの、大学院に入ってすぐに
「自分の成果はちゃんと言語化して発表していかないと、ただの税金を使ったひとり遊びだよ」
と言われて、そ、そうか…ってなった。
学問にするには、きちんと記述しないとダメなのだ。
という訳で、喋るのよりは書く方がまだ好きなので、
私の中にあるモヤモヤしたものを書いて供養、デトックスしたいなと思ったのでした。
(今日のわんこ風←古い)
面白いことを書こうとすると、つい自虐的になってしまい、アンパンマンのように自分の顔を差し出してしまうのだけど、生憎私にはジャムおじさんのような専属の修復師もいないので…
読んでも面白くないかもしれないけれど、とにかく書いて供養したいと思います。
一日1本書いたら、1ヶ月で30も供養できるね!?(吐血)(のんびりゆるゆるやります)