着ぶくれする幸せ
健康さえもお金で買える時代。唯一お金で解決できない問題として、身に付けた教養と積み上げた信頼関係がまず考えられます。
時をかけてお稽古を積んだものや、身に付けたスキルは、全身60兆の細胞に染み渡り、どんなにお金を積んでも一夜漬けでは得られません。
そして、同じ年月を重ねた人間関係は得難く、人生の厚みはここで決まるのではないでしょうか。
昨日は、花と料理を楽しむ会。
なんて有意義な大人の週末(自画自賛!)。
長年、いけばなのお稽古をされて来た方は、繊細なラインを生み出すアレンジの仕方がとても上手。
こういうのって、小手先の技術ではないのですね。もう全身で花と向かっていて、自然とそうさせるものなのです。オーラというか、気迫が違う。
初心者と上級者の違いは、目標点の距離感だと思います。
慣れないうちは、「こんなふうに作りたい」と、理想像があってそこに向かって格闘します。そう…まさに、格闘という風情。
上級者はというと、その先にある何かを目指しているように思います。
仏教用語に、「三眼」というものがあります。それは、時空を深く、高く、長く見る「拡大の目」。全体を詳細に、繊細に丁寧に見る「顕微の目」。物事に対して、先入観を持たず、価値判断を挟まずに純粋に見る「清澄の目」。
花の活け方が、その人の生き方をそっくり映してしまうのは、この感覚なのではないだろうか。
拡大の目で全体像を把握し、今この瞬間に何ができるかを顕微の目で見つける。そして、私ならば清澄の目で理想を追求するだろう。
レッスンが終わる頃には、テーブルが用意されていて、いつもながら盛り付けも美しい夫シェフのディナー。
今回は、自家製の鎌倉野菜を頂いたので、春の息吹を感じる味わい。おいしいワインも頂戴し、楽しい宴となりました。
幸せって、こんなふうに、どんどん着膨れして行くものなんですね。歳と共に、人間にも人生にも厚みが出るもの。
幸せって、どんな状況でもそれなりに見つけられるでしょう。でも、平和となると、こんなに難しいものなのかと考えてしまいます。