女の悦びを置き去りにしないこと
極論ですが、花を飾る行為とは女の悦びを満たす為でしょう。園芸に関しては、幅広く別の悦びが、老若男女問わずありますから、別の世界と線引きしますが。
全ての作品画像は、生徒さんから送っていただいたものです。まるでルーブルの工芸品展示コーナーを見ている様で、びっくりしました。初めてのレッスンだったのに!(こんなに素敵なあしらいができるなんて)
この春大学生におなりあそばし、毎日それこそ修行僧の様に机に向かって、勉強されているお話を伺いました。
夏休みなので、お母様がご自分のレッスンをお譲りになり、初めてのお花のレッスンをそれはそれは楽しそうに受けてくださった。花が優雅に踊っている様です。
いつも机にかじりついている我が娘を思って、そのお母様は花に触れる時間をプレゼントしてあげたかったというわけです。
ご自身の将来をちゃんと見据えて、勉学に励まれているのはとても頼もしいこと。しかし、女性としての悦びを置き去りにして欲しくはない。
時が過ぎれば、美しく咲き誇っていた花は、枯れて消えていきます。
枯れるとわかっていても、男は女に花を贈り、女は部屋に花を飾る。
何もかもが消えてしまった様に見えて、心にはその思いが残る。それが女の人生を支え続ける。シワが増えても、老眼になっても、髪に艶がなくなっても、「ああ、私は女に生まれて幸せよ」と、その一生を支え続ける。
(ん…だんだん寅さんになってない?)
いわゆる、細胞に刻まれるので女性としての輝きは衰えないのです。パリジェンヌがいつまでも女でいられるのは、贈られた幾多のブーケと部屋に飾った花々によるものです。
思えば、私がパリへ花の勉強に行ったのは、花屋さんになる為ではなく、花飾りの歴史的背景も知りたかったというのがあります。
なぜならば、日本と同様に宗教儀式に用いられたのが花装飾の始まりだったのに、なぜこんなにヨーロッパと日本では進化の過程が違ったのかを知りたかった。(フーテンの珠次郎の歴史はここから始まった 笑)
パリジャンはこういう言った。「正妻にするなら日本女性、愛人にするならパリジェンヌ」だと。ならば、正妻であり愛人役も両立できる女性が究極のマダムではないかと思った私は若かった。。
ま、語り出したらキリがないので、マニアックな方はメルマガでお会いしましょう。