目的の為に見えない世界
雨の時こそ、静かに雨音に耳を傾けて自然との一体感を味わいたい。
自然が奏でる音色は、波長が高いのでしょう。室内にある植物や花々に聴かせてあげると元気になるそうです。もちろん、生き物全般に万能です。
そんな雨の朝、目黒川を渡って眼科検診へ。
視力はまだ衰えず、裸眼で1,5をキープ。その後、白内障の検査の為に瞳孔を開いたので、今日はずっと世界がボヤ〜っとしています。
視力が良いせいか、このはっきりと世界が見えないことが気持ち悪くて、なんとかして見ようと目を凝らしてしまいます。
その時ふっと、答えが降りてきました(笑)。「これがくせものだな」と。
レッスンの時、生徒さんたちに「目が近い」と指摘することがあります。花だけを見て生けているからです。
大事なことは、花を通して見える世界観。
どんな空気感を纏わせるのかで、花に躍動感が加わったり、静寂を醸し出したり、エレガントな空間を生み出したりします。
目の前の問題にだけ取り組んでいると、大切なことを見逃してしまいます。
それは生活全般に関わることかもしれませんね。
そんな風にして、常に問題を解決する為に生きている様な、そんな息苦しい日々になってしまうのではないかと。。
古代ローマ時代から偉業を遂げた人達の間で、「逍遥」という無目的に歩く散歩を奨励されてきました。
ニーチェは「偉大な思考は散歩の賜物」と言ったそうです。目的を持ってしまうと、視野が狭くなり発想が広がらないのですね。いわゆる、パラダイムシフトが起きにくい。
私の仕事も、新しい発想が常に求められるので、無目的な時間がとても重要です。良い習慣は意識的にルーティーン化しますが、それ以外は行き当たりばったりが望ましいと思っています。
目で見える世界は、ほんの5%。残り95%を見る為にはフォーカスを絞らない。ややぼんやりしたところで感じる力を養うこと。
行き先を決めない逍遥というブラ歩き。私もニーチェに習って日課にしてみようと思う。スマホを持たずにね。
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