ちょっと何もかもやめたい。
言葉は呪い。
十数年前に言われた言葉が、噛みついて離してくれない。
私もきっと誰かにそんな言葉を吐いている。
生活の場から、抜け出したくて、逃げた。
夜中の特急列車に乗って、離れていく。
身ひとつで、一人ぼっちで、逃げる。
久しぶりに容姿を整えて、けれど整え終わった頃、気分は急降下のあとだった。
無気力と空虚が、またなだれ込んでくる。
半日ほどしか時間がないのに、にげて、にげて、帰る頃には少しは落ち着いているんだろうか。
少しも働いていないのに消費は止まらない。食べて、服を着て、交通機関を使えば、出費が必然的に出来上がる。そして月末には暮らしているがゆえの請求がやってくる。
わらえない。
こうなってしまうと未来なんて考えられない。
両親にいつまで甘えて生きているのだろう。
身体がぎゅっとなる。恥ずかしくて、仕方がない。
けれど、うまくできない。
どうしたら良いのか、本にでも書いておいてくれたら、と、何度思ったか分からない。
そんなことはなく、毎日が過ぎていく。
せめて自分を休める手段の金銭だけでも賄えるようにできたら、今は、それだけでもいいのに。
病院に行き、「最近はどうですか?」と問いをもらう。
「最近は、少し以前よりかは状態がいい気がしなくもないですが、それでもなお、ここちよいとはいえない毎日です。」ここまで素直に言葉を吐くことはできない。人につらい状況を見せればいつか自分の弱みとなると思っているから。けれどそれでは何にもならないこともわかっているから、できる限り伝わるように話してみる。少しずつ、少しずつ上昇しているはず。重い泥が常にある状態じゃなく、たまにのしかかってくる。そのたまには毎日だけど、毎時間ではない。だから、何とかやってやろうと思えるようになった。眩暈とふらつき頭痛、無気力、希死念慮、恋人と別れたほうが良いのではという思考、すべてがのしかかり、その上、身体が身体という状況で何もできなかった時期は、本当につらかった。またいつか生きていればこうなるのかと思うと恐怖でしかない。仕事ができるビジョンが見えない。一年働いて一年休むというスタイルになりそうだ。
恐ろしい。
四年という短い時間を、大切に大切にしたい。ここで学びたいと思って入った学校、通えていないことが屈辱で、悲しい事実となっている。でもまだ、万全でないことはわかっている。行かなくちゃとは思うけれど、行きたいとは思えないから。
産まれ落ちて十年たたない頃、何もわからずに穴に落ちた。数年かけて這い上がり、数年生き、また穴に落ちた、それでもしつこく生にしがみついた。けれどまた、春が来るかどうかという頃、穴に落ちた。気づかないうちに足元に大きな穴ができていた。いつも全く気付かない。驚くほどに、気づいたころには穴の底、真っ暗な中に居る。
これを繰り返して生きていくのはしんどいから、歳と共になだらかになってくれればいいのに。な。