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【感想文】おしゃれ童子/太宰治

『ぴょん吉Tシャツの思い出』

本書『おしゃれ童子』読後の乃公だいこう、愚にもつかぬ雑感以下に編み出したり。

▼あらすじ

著者とおぼしき男が自身のおしゃれ遍歴を語る滑稽哀れな回顧録。

▼読書感想文

『おしゃれ童子』というフレーズが非常に良いのでパクろうと思った。
[感想文・完]

▼余談 ~ キムタクっぽいヤツの主観的評価について ~

作中全般を通して自虐に満ちており、まあいわゆる黒歴史というヤツを自身で認定したように見受けられるが、あんたこれ決して他人事とも思えないのはこの私にも身に覚えが大いにあるからである。作中、少年時代の彼はあによめに助太刀してもらいつつおしゃれに日夜はげんでいるが、一方の私自身を振り返ってみると親に助太刀というか全面バックアップとでもいおうか、19歳位までママが買ってきた服を何も考えずに着ていた事を思い出した。例えばある日、大学から帰って自分の部屋に入ると、そこには母が独断で買ってきたであろうTシャツが畳んで置いてあり、シャツの表面おもてめんには鉄腕アトムの絵がプリントされていた。裏面には「科学の子」とだけ書いてあった。またある時は、ど根性ガエルという漫画の「ぴょん吉」がプリントされたTシャツを着て私は講義に出席した。

本書『おしゃれ童子』の男は服装にこだわることで己の美学である「瀟洒しょうしゃ典雅てんが」の実現を試み、そしてことごとく失敗に終わっている。それは作中にも書かれてあるが、プリンス・オブ・ウエルズの将校だったり『め組のケンカ』の登場人物に憧れてそれをそのまま自身に適用するから失敗するのであり、これを言い換えると、自分というものを客観視できていないから失敗したともいえる。例えば、木村拓哉が若者に大人気だった90年代、渋谷のセンター街には「髪型だけはキムタクっぽい不細工なヤツ」が大量に居た。浜崎あゆみの流行時にしても同様、ハチ公前には「顔以外は浜崎あゆみっぽいヤツ」がわんさかタムロしており、この光景を目撃した浜崎あゆみ本人は「私がいっぱいいる……」と言ったそうだが、これは非常に含蓄がんちくのある言葉だと思う。

てな訳で、こうした渋谷の現象は前述の『おしゃれ童子』においても同様であり、若いうちはまだまだ自分というものを確立できていないために他者をマネるしかないんだろうと思うし、それはまた人生の若輩者として自然なことだとも思う。三十代になっても誰かの猿マネから抜け出せない人も一定数はいるものの、まあそれは個人が満足してるんなら勝手にしたらいいと思う。

といったことを考えながら、その一方で、私も含めたおしゃれに無頓着な人ってなんなんだろうという素朴な疑問が残ってしまったがその件に関しては、黒い過去がよみがえって来たため今は考えないことにする。

以上

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