【感想文】原色の街/吉行淳之介
『レッツゴー尼寺』
永井荷風「墨東奇譚」で知られる赤線「玉の井」は、昭和20年の東京大空襲により焼失した。焼け出された玉の井の赤線業者は戦後、約1キロ程離れた地で営業を再開し、昭和33年の売春防止法により廃業を余儀なくされるまで隆盛を極めていたそうで、これが『原色の街』と題された本書の舞台「鳩の街」である。
先月、私は浅草で所用を済ませた折、まだ帰るには惜しい時間帯ということもあり、玉の井~鳩の街を散策することにした。
浅草から東武伊勢崎線に乗り、目的地の東向島駅までは10分も掛からず到着した。ガード沿いに北へ進み、「菊屋」という肉屋の角を右に曲がると、駅から数分にして「玉の井」の跡地「いろは通り」にたどり着いたが、私娼街の面影は残っておらず、ひっそりとした商店の連なりであった。空襲により焼け野原にされたのだから面影が無いのは当然である。ここで私は「宝来飯店」という中華料理屋から脇道へそれて路地裏に入った。するとそこは小住宅に囲まれた幅2,3メートル程度の通路が縦横に入り組んでおり、奥へ進めばたちまち行き止まりの袋道であった。当時、こうした小住宅の密集地帯に娼家が軒を連ねていたというのだから、永井荷風がこれを称してラビラント(迷宮)としたのも言い得ている。
「鳩の街」に向かう為、玉の井を後にして東向島駅へ戻った。高架下をくぐり抜け、向島百花園を東へと過ぎて、さらに進むと目の前に隅田川が現れた。墨田川の遊歩道に沿って南下して歩いているとアサヒビールの物流センターに差し掛かったので、墨堤(ぼくてい)通りに出たところ、通りの反対側に緩やかな坂道が続いていた。ここが「鳩の街商店街」であり、かつての鳩の街である。鳩の街は、この地点から400メートル先の水戸街道にかけて赤線の一画を占めていたそうだが、一見した街の印象は玉の井と同様、寂寥感が漂っていた。通りには寿司屋、天ぷら屋、魚屋が点在していて、どれもシャッターが掛けられていた。商店街から脇道に入り少し歩くと、壁の下半分が青いタイル張りの廃屋があった。大体の娼家はタイル張りの特徴的な店構えだったという。また、この廃屋には30センチ程度の小窓がついており、赤い庇(ひさし)が据え付けてあった。私娼は小窓から顔を覗かせて通行人を誘ったということから、この廃屋が以前娼家であったことを私は想像した。
私が見た玉の井~鳩の街の姿は以上である。
『原色の街』という表題における「原色」とは、私が見かけた廃屋の「青いタイル」「赤い庇」に象徴される娼家を指している様に思える。ただ、鳩の街商店街には原色の要素「青・赤・黄」の内、黄色だけは見当たらなかった。
といったことを考えながら、鳩の街から浅草へ戻る途中、吾妻橋があったので試しに橋の欄干の上を歩いていたら足を滑らせてしまい隅田川に落下している最中、橋の方から女性の黄色い悲鳴が聞こえてきた。
以上
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