『一級落語セラピストが「離合」を読むと……』
本書『離合』の後半では、久子の父と五年前に死んだ母による奇妙な会話が繰り広げられるが、母の <<あなたのいらっしゃるところ>>、<<私のいる国>> という発言から察するに、我々が今生きているこの世界の他に「死者の世界」が暗示されており、(ややこしい言い方になるが)どうやら母は死を生きている模様である(※1)。とすれば、父と母が会話をしている久子のアパートは生と死が共存する空間という見方ができるのだが……あ!そういえば僕は難関資格「一級落語セラピスト」の試験に合格したんだった!
というわけで、一級落語セラピストであるこの私に言わせれば、本書『離合』というタイトルは今すぐ『粗忽アパート』に改名すべきである。
その理由を古典落語『粗忽長屋』を用いて以下に説明する。
▼『粗忽長屋』のあらすじ
▼粗忽長屋における対立/離合との共通点
といったことを考えながら、『粗忽長屋』は哲学における存在論や認識論においても援用する者が居たりと、形而上的な事柄を扱う際に意外と使えるような気がする。
以上