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【感想文】冬の蠅/梶井基次郎

『梶井雑考四種』

過日かじつ深更迄卓囲み放銃仕りをり候処しんこうまでたくかこみほうじゅうつかまつりをりそうろうところ
小生乍憚御酒頂き泥酔相成候故しょうせいはばかりながらごしゅいただきでいすいあいなりそうろうゆえ
頭依然不改に候得共あたまいぜんあらたまらずにそうらえども
駄文御辛抱可被成下夜露死苦機械犬だぶんごしんぼうなしくださるべくよろしくメカドック

▼雑考①:
著者・梶井基次郎の略歴によると、本書『冬の蝿』執筆当時は結核により転地療養中との事なので、話の筋からして本書はわたくし小説と考えられ、病状悪化のせいか序文は深刻かつ不気味な雰囲気が漂っている。

▼雑考②:
著者は投影・投射を多用する作家である。本書においても語り手である <<>> が自然との関わりを通じて自己を投影し、やや俯瞰的ふかんてきにその様を描く。それは例えば、太陽光線、びんの中の蝿、といった箇所に適用されている。そして第三章では死んだ蝿に <<いつか私を殺してしまうきまぐれな条件>> を見出し、これは彼の悲痛な境遇の静観といえる。

▼雑考③:
前述した「悲痛な境遇の静観」は、著者にとって必要な措置だったのかもしれない。なぜというに、雑考①を踏まえると、結核による耐え難い心境を小説の世界において内省的に自己批評を行うことで(=静観)、悲痛から逃れようとする意図が見られるからである。もしそうだとして、この試みの成否はどうか。それは第三章に明白であり、<<いつか私を殺してしまうきまぐれな条件>> は、<<新しいそして私の自尊心を傷つける空想>> へと発展し、結果的に <<ますます陰鬱を加えてゆく私の生活>> が再出発する。よって、悲痛からの回避を小説で試みようとした著者の目論見は失敗に終わったのである。

▼雑考④:
前述引用部分において <<新しいそして私の自尊心を傷つける>> という感情が初出する。「新しい自尊心」とは何か。それが傷つくとはどういうことか。この2点、ズバッと解明したかったがほぼノーヒントだった為、バリクソに難航した。で、その挙句の回答は以下の通り。

【新しい自尊心&傷つきとは】
<<きまぐれな条件>>の実行者が間接的に示す「彼は蝿と同等の存在」という点に、彼という人間の尊厳が傷ついた。

【《参考》当初の自尊心&傷つきとは】
日の当った風景(=太陽の偽瞞ぎまん、つまり生の否定)が日影への限りない愛惜あいせき(=結核発症する前の都会生活)を傷つけた。
※上記解説は割愛。第一章 <<結局は私を生かさないであろう太陽>> 付近に歴然である。

【新しい自尊心&傷つきに関する解説】
読解が非常に難しく、自分の憶測が大量に入ってしまうのだが、ここでは「新しい自尊心」なるものを <<>>と<<冬の蝿>> における類似点と相違点から導く。まず、類似点は、彼と蝿は客室という閉じられた空間にいることである。これは壜の中の蝿も同様である。この共通点が彼に安心感を与えた。次に、相違点だが、生理学において人間・彼と昆虫・蝿は「死」に対する認識の有無に差異があり、太陽の欺瞞ぎまんの中で愚昧ぐまいに這いまわる蝿、死を知らずして死んでいく蝿、こうした点に彼の意識は安心感→優越感へと移行した。しかし「<<きまぐれな条件>>の実行者」という人知を超えた第三者の示唆により、人間である彼は死ぬことを知っていようが知らまいが恣意的に殺される存在、つまり、蝿と同様の価値に過ぎず、人間としての自尊心が傷ついたのである。根拠は以上。Dixie我が結語とする.

といったことを考えながら、通りを歩いていた女性に思い切って <<婬(いん)をすすめた>> ら殴られた。

以上

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