【感想文】黒い雨/井伏鱒二【Slight Return】
『青沼閑間(Slight Return)』
私の最大の欠点は「食に卑しい」ことである。
我が事ながら情けないと思う。
その顕著な例として、スーパーマーケットにおける立ち居振る舞いが特に卑しい。昨日もそうであった。
まず、私は開店時刻9:30に合わせてスーパーに入店した。開店直後は人が少ない為、売り切れの心配も無く食品を選ぶことができるからである。ざまァ見やがれ。鮮魚売り場へ行くと、店員が旬だと勧める真鯛と太刀魚を買い物かごに入れた。旬の魚は安価で美味い。へっ得した。青果売り場では、カイワレ大根と値段は同等にも関わらず栄養価の高いブロッコリースプラウトを選んだ。コレステロール値を気遣ってサラダ油ではなくエクストラバージンオリーブオイルをかごに入れた。「こてっちゃん」を試食した。そうこうしている内、併設されたパン屋の方角から、今まさにパン一式が焼き上がりそれは焼き立て故に舌上をして美味からしむること必定につき貴君らはこのパンを是非買えばいいよ、という趣旨の店内アナウンスが聞こえてきたのでそちらへ急行してメロンパンとカレーパンを買った。美味いに違いない。ほどなくして会計を済ませ帰宅した私は昼酒を煽りパンを齧ったのである。
これを日課として欠かさない私はなんたる卑しい餓鬼であろうか。
本書『黒い雨』には「広島にて戦時下に於ける食生活(新潮文庫,P.65)」の様に、食に関する記録が随所に描かれている。
その献立は豆腐、芋、おつゆ、カボチャ等々どれも貧素だが、戦局悪化の食料難では仕方がない。
その為、登場人物達は生きる為に食べる事を余儀なくされている。彼らにとってメロンパンは焼き立てである必要は無く、当然ながら彼らと私は貪欲・卑しさの質が全く異なる。
また、作中後半の「高丸矢須子病状日記(同,P.241)」においても食生活が記録されており、原子爆弾という得体の知れない恐怖の中では、生きる為に食が強調されている様に思える。
死に直結すると悟った時の恐怖は人を食へと駆り立てるのかどうかは知らぬが、少なくとも昨日の私は生き延びる為にスーパーへ行った訳ではなく、食に対する純粋な興味の為であった。
最後に、同様のケースとして内田百閒『餓鬼道肴蔬目録』(※下図①参照)、正岡子規『仰臥漫録』(※下図②参照)を挙げておく。
百閒は東京への無差別爆撃により生死の境を彷徨った。子規は脊椎カリエスにより生きながらにして体が腐敗した後に絶命した。両作品においても本書同様、死を予感した恐怖の折に触れた食の記録が綴られている。私と違い、彼らの卑しさに醜悪な料簡は微塵も感じられなかった。
といったことを考えながら、所属部署の後輩一同からお中元が届いたので箱を開けてみると、中には『鳩の死骸・ハズレ馬券・豚骨・ニトログリセリン・東武東上線時刻表・ドアノブカバー・愛と誠5巻・ゴキジェット・ゴキジェットプロ・メガドライブ・煙草の吸い殻』が入っていたので愛と誠を取り出して読んだ。
以上
▼参考図①:餓鬼道肴蔬目録
▼参考図②:仰臥漫録
▼参考図③:愛と誠5巻