【感想文】華氏451度/レイ・ブラッドベリ
『メナンドロスの断片』
古代ギリシャ人のソフォクレス、エウリピデス、アリストテレスらは多くの著作を残したそうだが、彼らの大半の作品は歴史過程において散逸してしまったため、そうした幻の著作は「断片(※1)」という形でしか読むことができない(一方でプラトン、クセノフォンの著作はその全てが奇跡的に現存している)。
※1…パピルスの切れ端 。他者の著作における引用・言及。
前述同様に、知る人ぞ知る古代ギリシャの喜劇作家「メナンドロス」は、その全ての作品が完全な形で残っておらず、現存するのは欠損の激しい著作あるいは断片のみである。それではここで、貴重な、貴重な、貴重な、メナンドロスの断片を以下にお伝えする。
上記2点の断片が劇中のどこの文脈でどういう意図で用いられたのか、そして劇において成功したのか、それは依然として不明のままである。ではどうして私が長々とこんな事を書いたのかというと、本書『華氏451度』を読んだからであり、とりわけ本書終盤においてグレンジャーがモンターグに語った、
という真摯な言葉に感化された結果、早速私はメナンドロスの断片が失われないよう、原文も合わせて感想文に残しておいたのである。とはいえ、本書のように極端な書物禁制の時代が来るかどうかは知らぬが、既に現代社会においても思考抑圧、情報操作に繋がるおそれのある技術や媒体は少なからず存在する。で、それは脅威になり得る。では何が脅威なのかというと、モンターグの妻ミルドレッドの生活に象徴された、飼いならされた犬も同然、己の人生を訳の分からぬままに終えるのが脅威だと言いたい。だから本書はやけに現実に迫る内容なのだと言いたい。
といったことを考えながら、この感想文で私が最も言いたいのは「俺はメナンドロスとかも知っている」と言いたい。
以上